ショパン

世間はショパンコンクールで持ちきりですね。



今月発売号のショパンもショパン特集していて、その中のショパンのピアノソナタのところに文章を書いています。



ショパンにはよく文章を依頼されるんですが、いつもは他の作曲家のことが多くて、ショパンにショパンのことを載せるのは僕としては珍しいことかもしれない。(ショパンが並んでややこしいですね^^;)

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沈黙

ベルリンから帰る飛行機の中とその後何日かかけて、久しぶりに遠藤周作の「沈黙」を読んだ。

素晴らしい構成力。
すさまじい緊張感。

まるでベートーヴェン「運命」の第3楽章後半の長い長いトンネルのように、張り詰めた一本の糸がどこまでもどこまでも伸びていく。
もちろんその中で、いろいろとストーリーも展開し、主人公の気分や周りの雰囲気も変わっていくのだけど、それも全部最後の結末のための布石に思えるほどの、先の先のそのまた先まで見越した構成の上に立った緊張感。

別に特別こみいったストーリーでもないし、というかむしろあらすじを書いてしまえば「なんだ、それだけか」と思えるほど単純なストーリーだし、
そして特に気の利いたセリフや言い回しが出てくるわけでもないのに、
この300ページほどもある小説を一気に最後まで読み終えさせてしまうほどの力が文章にある。

一箇所だけセリフを取り出して読んでみると、どうってことない。
でも、その場所で、その流れの中で、その伏線があった上でそのセリフが出てくるから、心にグッと入り込んでくる。
そしてそれがまた次なる展開へと途切れることなく繋がっていく。
ホントにベートーヴェンのようだ。

初めて読んだ時の、あの最後の場面で感じたガツーンと心の中に重い石が落ちていくような感覚は、今でも覚えている。
2回目に読むとさすがにもう知っているので、そこまでの衝撃はなかったけれど、その代わり
「これも最後のほうのあれに繋がっていたのか。」
「ああ、この場面もあれのために用意されていたのか。」
といろんなものが見えてきて、本当に興味深い。
それでも多分、素人の僕に見えているのはその神髄のほんの上澄みなのだろうけど。

文章という普段誰もが使っているツールなのに、書く人によってこんなにも大きな感動を呼び起こすことが出来るのだから、不思議なものだ。

そういえばまだこの本を読む前、ベルリンでドイツ人と室内楽をやっている時に、「Shusaku Endoの"Schweigen(=沈黙)"は読んだか」と言われたことがある。
ドイツでも読まれてるんだなぁ。
僕はキリスト教徒ではないので、純粋に小説としての面白さだけで読んでしまうけれど、キリスト教徒の向こうの人が読んだらどう感じるのか、聞きたかったものだ。

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