音楽

シューベルトとメンデルスゾーン

最近、レッスンでシューベルトを久しぶりに弾いてみることがあったんですが、

やっぱりシューベルトいいなぁnote

19歳くらいの時に作ったイ短調ソナタ。

まだまだベートーヴェンっぽいがっちりした形式のものを作ろうとしてもがいてる感満載ですが、

突然シューベルトらしい美しくてはかないメロディーが出てきたりするんですよね。

どこまでも澄んでいて、清らかで、

なのに、「いったいその年でどれだけのものを心の中に抱え込んでるの?」と言いたくなるような表情がこもっている。

あの世との境界線が見当たらないような、

つらいこともさみしいことも山ほどあったけど、

どうせ人間は無から生まれてきて無に帰すんだ、

って言ってるような表情。

これが後に、本当に自分が死ぬことが分かった後は差し迫った苦悶の表情を見せたりするんですが。

そして、その後には、少年の青いあの世への憧れではなくて、本当の意味で全てを諦めきって浄化されたような美しさにたどり着きます。

でもまだこのソナタは、そこまではいかない、異常なほど多感で純粋で、だけどいろんな負の感情、世の中の暗い部分も知ってしまった少年のモノローグ。

特に2楽章とかは泣けますねぇ。

19歳かぁ。

50歳になってもうまく弾けるような気がしないな~~eye

そして、メンデルスゾーン。

小田珈琲館での漆原さんとのコンサートで、ソロで何曲か無言歌を弾こうと思ってるんですが、

この人もまた非常に澄んだ音楽を作りますね~~。

ただシューベルトと違うのは、何不自由ない豊かな育ちで、才能にも環境にも恵まれ、いろんな意味で成功していたこと。

なのでシューベルトのように、突然心の奥底の暗い淵を微笑みながら覗き見せられるような感覚はありません。

その代わり、すべてに恵まれていたからこそ感じていたのかもしれない空虚感、みたいなものがじんわりと胸に染みてきます。

春の歌とか、あんなに単純で美しい曲なのにねぇ、

なんかどこかさみしげというか、やっぱりはかなげというか。

メンデルスゾーンは、3番の交響曲「スコットランド」とかは大好きだったんですが、

他の曲はだいたいなんか物足りない感じがしてたんですよね。

でも、今回いろいろ弾いてみて、ちょっと魅力を感じ始めました。

ちょうど今年はメンデルスゾーンの年だしねshine

結構知ってたはずの作曲家でも、どんどん新しい側面が見つかるもんですねぇ。

いろんな曲を演奏して、いろんな作曲家を奥深くまで知りたいな。

ピアノは曲数が多いので、駆け足でやっても一生に全部の曲なんてなかなか出来ないだろうけど。

ベートーヴェンのソナタすらまだ半分も出来てないもんなぁ。。。

でも、急ぐと掘り下げられないし。

ん~~、時間がたくさん欲しいbearing

睡眠時間を削りたいくらいの気持ちですが、睡眠も欲しいsleepy

というわけで、おやすみなさいspa

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戦場と氷

「本番のステージは戦場のようなものである。」

そんな風にずっと思っていた。

確かに、毎回本番の前は、戦場に向かうようなある種の悲痛な決意を感じて一歩を踏み出す。

もちろん実際の戦場はそんな生易しいものではないだろうけど・・・

戦場。

勝つか負けるか?

勝たない限りは生きて帰って来れないのか?

ちょっと前に友人に「ステージは戦場だ。」と話をしてから、

なんだか逆に自分の中に疑問が湧いてきた。

何か違うような気がする。

自分は一体何に勝ちに行ってるんだろう。

負けとはなんだ?

失敗しないこと?

いや、そんなことは簡単なこと。

失敗しない”だけ”なら笑いながらでも出来る。

最高にうまく弾こうと思わなければいいだけ。

じゃあなんだろう。

最高にうまく弾くことが勝ち?

いや、確かにそれは目指すところではあるんだけど、

そこがゴールではないような気がする。

なんだろう。

しばらく考えていたんだけど、

小田珈琲館の後に、ファンの頭領のような方(笑)に、

「日々忙しくて大変だけど、いつも演奏聞いてパワーをもらっとるんよ。」

と言われた時に、謎が解けた。

いや、その時すぐには解けなかったのかな。

その時は、「演奏するというのは身を削るような作業だけど、それによって人が救われるならいいことだ。」

くらいにしか思わなかったかもしれない。

でも違う。

救われているのは結局僕自身なんだ。

僕はこう見えて、世界を常に拒絶しながら生きているようなところがある。

そうじゃないと自分が壊れてしまうから。

必要以上に論理的に物事を考えてしまうのも、たぶんそのせい。

論理の枠に自分を押し込めていないといけない何かがあるから。

たとえば、リストとかもきっとそういう人だったんだろうと思う。

そんな僕にとって、音楽というのは自分の心の奥底の、自分自身に対してすら隠された部分を表す唯一の手段。

言葉では表せない。

音によってのみ、その部分は解き放たれる。

と言っても、音を出せばすぐに出てくるほど単純なものではなくて、幾重にもプロテクトされた扉を開くのは相当な覚悟とエネルギーが必要となる。

そこで、「戦場に出て行く」ような悲痛な心持が必要になってくるわけだ。

目的は勝つことではなくて、解き放つこと。

そして、そこもまだゴールではなくて、大切なのはそれによって誰かが心から共感してくれること。

心から。

それによって、僕が自分で封じ込めた奥底の繊細な部分が開かれる。

氷が少し解ける。

そのためだったんだ。

誰かの気持ちがこっちにまっすぐ向かってくることによって、自分も生かされている。

自己顕示欲とか、来るもの拒まずとか、そんな軽い次元の話ではなくて、本当の意味で。

音楽は人の魂の救済、なんて言ってるけど、

結局人間、一番救ってるのは自分自身の魂なのかもしれないね。

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長編小説

ベートーヴェンのソナタの魅力って、長編小説みたいなもんですな。

語り口の巧さ、個性的な比喩表現、

そういうスッと飛び込んでくる部分ではなくて、

長い目で見た伏線の絶妙な張り方、ドラマの起こるまでの物語の流れ、

そこでいかに印象的なフレーズを作り出すかではなくて、

その印象的なフレーズをどこでどのタイミングで使えば一番効果的に心に入り込んでくるのか、

そんなところまで見据えた計算、

そんなところに良さがあるんじゃないでしょうか。

もちろん一部分だけ聞いても十分魅力的ですが、

全曲通して聴いて初めてその真価が分かるように出来ている。

たとえば、運命の4楽章では歓喜が押し寄せるわけですが、

それも3楽章の暗くて長いトンネルをくぐり抜けた後だからこそ大きな爆発になるわけです。

その長いトンネルの前には、3楽章冒頭でホルンで堂々と鳴らされたテーマが極限の緊張感を持って静かにピッチカートで演奏されていて、

堂々としたカッコイイメロディーだという記憶がまだ残ってるそのうちに、まったく同じものがこれ以上ないほど静かにならされるから、

その対比で余計に印象的になるわけですね。

そして、そのためには、フォルテッシモで弾いてもピアニッシモで弾いても成り立つモチーフというのを作り出さないといけないわけで、

そのためにはなるべく簡潔でしかも印象深いモチーフが必要となるわけですね。

この意味において、

運命のジャジャジャジャーンというモチーフほど短くてしかもドラマチックなものは、

他になかなかないでしょう。

これこそが、ベートーヴェンが完成させた「主題労作」というスタイルですね。

こうやって逆から読み解いていくと、なんかまた違った見え方をして、よりその意義がわかるような気がするなぁ。

考えれば考えるほど、ベートーヴェンの音楽ってよく出来てますshine

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ドイツ物

ベートーヴェンとかブラームスとかのドイツ物って、

突き詰めれば突き詰めるほどいろんなものが見えてくるから、面白いshine

イメージふくらましてどうこう、ってのももちろん大切ですが、

全ての音が論理の上に立って書かれているので、

その論理を紐解いていくだけで9割くらいの完成度にはなるんじゃないかなぁ。

しっかり考えられれば音楽が出来上がる、と聞くと、

一見簡単そうに聞こえるけれど、

その紐解く作業自体が簡単なことではないし、

その頭で理解したものをいざ音に出すというのも十分難しいので、

なかなかそこにすらたどり着けないわけですが。

そしてもちろん、その9割の先の強烈なイマジネーションなしには、

人を感動させる音楽はできないわけですが。

ちなみに、あさってのコンサートでは、

ヴァイオリンソナタは、

ベートーヴェンの7番、ブラームスの3番、モーツァルトのK.301と

ドイツ物ばかりです。

楽しいけど、結構体力と精神力を使うプログラムだcoldsweats01

でも、若いうちしかこういうチャレンジングなプログラムは出来ないだろうからねぇ。

今のうちにしっかり頑張っとけば、年を取っていろんなことが気負わずに出来るようになるのだ、きっとnotes

あと、今更ながら、あさってのコンサートの情報、

Kazumasa Matsumoto official websiteにアップしました・・・。

いまさらですが・・・cat

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音楽における体の動かし方

さて、昨日は思わせぶりなタイトルで、一部の方には若干失望感を味わわせてしまったので(笑)、

今日こそは書こうかな。

しかし、何を書こうと思ってたんだっけかな。。。

しゃべってると、口が先に動いてるのかな、というくらいに普段考えてることが次から次へととめどなく出てくるんですが、

いざ腰を据えて文章にしようと思うとなかなかまとまらない。

とか書いてる時点でもうこの文章はまとまってない。

でも、変にまとめようと思わない方がいろいろ出てきて面白いのかもしれない。

しゃべるように書く。

これぞ、ブログの鉄則!!(たぶん・・・)。

普段しゃべる時も、言いたいことを1回頭の中で反芻してから口に出てくるんですよね。

意外と。

ペラペラとしゃべってるように見えて、一度頭の中のフィルターを通っている。

しゃべってる時でさえそういう状態なので、

「書く」という作業は自分にはテンポが遅すぎるんですよねぇ。

書いてる間に次の次の次の段落位まで頭が飛びすぎて、結局いろいろ考えすぎてまとまらない。

そんなことが多いような気がします。

じゃあいっそのことしゃべってしまえばいいのか。

ブログじゃなくてポッドキャストにしてしまうとかね。

ああ、それ面白いかもなぁ。

でも、ポッドキャストってブログに比べて聞く人が圧倒的に少ないような気がするし。

あ、しゃべって録音しといて、それをそのまま文章にすればいいのかな。

まだまだいろんな方法あるじゃないか♪

それでまた、いろいろと考えた末結局実行にはだいたいうつさないのも、僕の悪い習性なんですよね。

踏み出す勇気が足りないのか。

いや、ただ怠惰なだけなのか。

怠惰ではいけない、ストイックにならなければならない。

さて、思いだした。

まずは「腹式呼吸」のことを書こうと思ってたんでした。

レッスンしててある時ふと気付いたんですが、特に意識したわけでもないけれど、いつの間にか僕は演奏の時腹式呼吸をしてたみたいです。

そもそも、ピアノの人は呼吸が出来ない人がすごく多い。

ソロならまだそれでもなんとかなる場面もあるけれど、室内楽ではそれでは何も始まらない。

他の人と同じ呼吸が出来て初めてピタッと合うわけです。

音と音が重なりあうその点を合わせるんではなくて、そのひとつ前の呼吸を合わせようとする。

そうすると、呼吸は点ではなくて動きのあるものだから、どこで次の音が出てきてどういう音色でどういう進み方をするかが、あらかじめわかるわけです。

そうすると、音楽が一体となって、逆に言うと細かいところが少々ずれていても全体として一つの音楽に聞こえる、と。

で、レッスンでは「ここでほかの楽器と同じように呼吸をしてみて。」とか言うわけですが、

どうやってもなんだかしっくりこない。

いろいろとやってみて、自分の呼吸と比べてみているうちに、

「はぁはぁ、これは腹式呼吸が出来てないからだ。」と気づいたわけです。

いや、基本的なことかもしれないけれど。

でも、あまりにも自然にやっていたので自分でも気づいてなかったんですね。

そして、レッスンを受けるコの9割以上は腹式呼吸が出来ていない。

だから、ピアノや室内楽のレッスンで腹式呼吸の仕方を教えるというような、なんだかよく分からないことになってるわけですcoldsweats01

腹式呼吸をすると、胸郭が広がって体が包み込むことのできるスペースがグンと広がるんですね。

胸に抱きかかえた風船がどんどん膨らんでいくように。

そして、息を吐くといっぱいに膨らんだものが抜けて行って体の重心も下がっていく。

それと同時に音を出すと自然に音が湧きあがってくるように出るわけです。

ピアノだけじゃなくて、弦楽器もたぶん一緒だと思う。

管とか歌とかは息そのものが音なので、ちょっと違うというか、むしろ腹式呼吸出来てないとそもそもちゃんとした音が出ないでしょうが。

ピアノは鍵盤を指で押さえれば一応音は出てしまうだけに、逆にそういう感覚が付きにくいのかもしれません。

さて、次の話題。

腹式呼吸とも関連はある話なんですが。

音楽をするのに体の動きってすごく大事なんですよね。

ここでは、音を出すためのテクニック的な体の動きではなくて、音楽の流れを作るための体の動き。

いつだったかレッスンで、いくら説明しても手本を聞かせてもいまいち表情がつかないなぁと思っていた時に、

「ここのところで気持ちだけで実際ちょっとかがみこんで弾いてごらん。」というと、それだけで音色がぐっと変わってその分に緊張感が生まれたことがあったんですね。

その辺から発展させたもので、

音楽的にフレーズが上に膨らんでいくようなところでは体の重心を上に釣り上げていき、

フレーズが終わっていくところでは力を抜いていって重心を落としていく。

後ろに隠れたような緊張感を出したい時は、さらに少し重心を下げてピアノのふたに隠れるような気持でやる。

そうすると不思議なことに音も実際そういう音になるんですよね。

たとえば、ショパンのノクターン2番。

これは、左手が3つごとに低い音を弾かないといけないので、そこでどうしても「よいしょっ」と体ごと動いてしまいがちなのですが、

右手のメロディは、「シソーーーファソファーーミーー」までは少なくともつながっている。

だから、途中で重心を落としてしまってはいけないわけですね。

最初のアウフタクトのシからソに向けて坂を登っていくように重心を一気にやわらかく上げて行って、

最後のミまでかけて少しずつ下ろしていく。

また次の「シ」でいったん沈んで、「ソー」に向けて体を上げていき、

「ドレドシド」で一旦少し谷を作って、1オクターブ上の「ドー」に向けて優しく放り投げるように上に体を持っていく。

この時に少し視界も上を意識できるとなお効果的かな。

っていうようなことをやるわけです。

なんてことはない。

音の高さそのままの動きです。

で、重心重心と言ってますが、

その重心はどこにあるかというと、気持ち的にはみぞおちのあたり。

上げて行ってというと肩から上がっていきがちですが、

体の中心からまず動き始めないと意味がないどころか、無駄な動きでかえって音楽の流れを阻害してしまうので。

腹式呼吸でたくさん息を吸い込むとぐっと開く部分があると思いますが、その辺がだいたい意識する場所です。

その重心を体の真ん中から上げていくと、その後ろにある肩甲骨のあたりの筋肉が反応して、

腕を持ち上げて行く。

自然な腕の動きが出来るわけです。

腕を持ち上げるのはひじの関節でも肩でもなくて、肩甲骨なんですよ。

その辺はテクニックにも関わってくる話なので、また後ほど。

重心の動かし方というのはもちろん上か下かというような単純なものではなくて、

少し前のめりとか、胸をしっかり開くとか、

しっかり音を出して重心も上に釣り上げながらも、緊張感も同時に作り出したいので胸元が開き切ってしまわないようにするとか、

いろんな要素があるわけです。

これらは体の一番奥の部分を動かしていく作業なので、

外から見ていてもあまり分からないかもしれません。

少しこれ見よがしにやってもいいし、

ほとんど動いてないように見えながらも体の内側だけ動かすようにやってもいいでしょう。

難しいけど。

もっと達人になると、実際何も動いてないけれど、感覚だけはそれを残して音楽はそういう方向に持っていくなんてことも出来るようになるでしょう。

こんな風に、クラシックにはかなり方法論があるわけですね。

この方法はもしかしたら僕独自のものなのかもしれないけれど。

でも、体の動かし方にしても、テクニックにしても、音楽の持っていきかた、分析の仕方、

クラシックにはいろいろと方法論があって、

それを全部会得していけばかなりの段階までは弾けるようになるはずです。

もちろん奥が深いのでそう簡単にいろんなことができるようになるはずはないですが。

でも、自分で一から今までになかったものを作り出さなくてはならないジャズとかポップスと比べて、

指標が見えやすい世界だとは思います。

それでもやっぱり、8割はそういう勉強で出来上がるとしても、

あとの2割はその人その人のイマジネーションです。

歴史に名前が残るような大巨匠は、往々にしてそのイマジネーションの量が半端じゃなくすごくて、

方法論なんて全部吹き飛ばすような変な説得力を持ってます。

いろんなこと考えて、自分でも研究して、人にも教え込んで、

その後でホロヴィッツを聞いてしまうと、いつもすべてがばからしく思えてしまうわけですが。

結局あんな音色と表情が出てしまえば、そんなことはもうどうでもいいじゃないか、と。

でも、そんなことが出来る人は世界で何十年に何人もいない次元の話ですからね。

そう、何が言いたかったというと、

方法論を全部吹っ飛ばしてしまうようなイマジネーションを持つことが必要、ということではなくて、

理論もイマジネーションもどっちもバランスよく持つことが大切だよ、ということです。

だいたいどっちかに偏るんですよね。

しっかりコツコツと取り組めるコは、音楽が小さくなってしまったりする。

すごい音楽性を持ってるコは、うまくまとめたり当たり前のことを当たり前にこなしたりするのが苦手だったりする。

まあそういう僕も偏ってはいるでしょうが。

しかし不思議なことに、

昔から感性のほうに極端に偏っていると思われていたし、自分でもそう思ってたわけなんですが、

レッスンすると驚くほど論理的になってしまうんですよね。

逆に、なんとなく大きなイメージを湧きあがらせるほうが得意じゃなかったりする。

まあそういうときは弾けばいいので、ものすごく困ってはないですが。

でもこれは、レッスンし出してからの発見ですね。

自分自身に対する。

だいたい昔から、音楽以外のことでは屁理屈をこねるようなタイプで、

やっぱりそういうところが出るんでしょうね。

音楽になると途端に論理的思考が飛んでしまうのも不思議ですが、

でも元がそんなだから、感性が爆発したものを無意識のうちに論理的にまとめてたんでしょうね。

だから、自分がやったことはだいたい後からなら説明できます。

どうしてそういう表情でそういう崩し方で弾いたか。

弾いてるその時は本能で弾いてるような感覚ですが。

さてさて、もう1時間近くブログを書いている。

ほとんど推敲も見直しもしてないですが。

しゃべったら15分くらいでしゃべれそうな内容なのになぁ。

やっぱりポッドキャストか!!

いよいよ。

おやすみなさいfullmoon(今日は満月~~☆)

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ショパンエチュード

ショパンエチュード。

ピアニストにとって永遠の課題です。

よくぞここまで難しいものが書けたなぁ、と感動するくらい。

単純にたくさん音がある難しさとか、たくさんオクターブがある難しさとかなら、

他の作曲家もいくらでも書いてますが、

こんな複雑な難しさが書けた作曲家はほかにいないんじゃないかなぁ。

簡単に思えるエチュードほど、突き詰めていくとものすごく難しかったりして。

とりあえずは問題なく弾けるんだけど、書かれているもの全てをちゃんと表現しようとするとものすごく細かくて繊細なテクニックとコントロールを要求されて、

しかも、それを全部ちゃんとやらないと音楽的にもその曲のキャラクターが出せないように作られていて、

つくづく天才なんだと思います。

その分、後世のピアニスト達はみんな苦しむわけですが。

そして、それだけの苦労をして弾けても、聞いてる人には難しさを全く分かってもらえなかったりする、というcoldsweats01

それにしても、ここまで突き詰めてテクニックの練習をするのは、ずいぶん久しぶりな気がするなぁ。

音楽的なことはたくさんたくさん考えてきたのですが、

テクニック的にはとりあえずいつも通り練習すれば弾けるようになってきていたので。

それでもやはり、ショパンエチュードは苦しむもんなんですね。

なんだか原点に戻った気分note

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ビート感

打楽器の、有賀大先生。

さすがですねぇnote

とにかく、ビート感、ビート感。

ゆっくりの曲でも、ビート感。

最初は、あまりにも自分の持ってた今までのイメージと違ったので、

「ん?」と思ったんですが、

それに乗って弾いてるとなんかだんだん楽しくなってきて、

はまりそうな感じですshine

拍子を取ってるだけで音楽になるんですよねぇ。

さすがですdash

さて、明日に向けて早寝じゃ~~happy01

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人間性のお話

名教師は、生徒の欠点には目をつむり、長所だけを伸ばすという。

しかし、かの名教師、そして大ピアニストのアルフレッド・コルトーは、

生徒の欠点までも長所に変えてしまったという。

いや~~、出来ないなぁ。

いったいどういうこっちゃ・・・・

さすがに、5日間のフェスティバル、その前も2日間ほど個人レッスン、

計7日もレッスンに勤しんでいると、

教えるということについてたくさん考えます。

一番簡単なレッスンはたぶん、

「ダメだなぁ。」と思ったところを「ダメ。」という。

「そこがダメ、あそこもダメ、」

挙句の果てに、

「だから君はダメなんだ。」

もしくは、とにかく一から十まで教え込む。

「ここはこう弾いてここはこういうふうにして、

この音はちょっと短く、ここから少しだけクレッシェンドして。」

もしくは、とにかく弾いてみせる。

「はい、こんな風に弾いて。」

おしまい。

この辺のことは、ほぼ機械作業にも等しいような作業です。

もちろん根底に音楽の知識とか弾く技量は必要ですが、

それがあれば、レッスンのその場では何も考えずに出来る。

でも、人を伸ばすというのはそう簡単なものでもなくて、

じゃあそこからさらに突っ込んで考えたときにどうすればいいかなぁ、と考え始めると、

五里霧中になるわけです。

それでも、ひとつだけ確かなことがあって、

それは、演奏には必ずその人の人間性が表れるということ。

演奏を聞いて、レッスン中のしぐさや受け答えや、それから目を見れば、

そのコの性格、生活環境、人生、親の接し方、などなどだいたいわかるものです。

やっぱり全部音に出てきますから。

で、たぶんですが、

この人間性の出方というのにもレベルに応じて3段階くらいあって、

まずはそのまま性格とかが音に出てしまう段階。

そして、そこからだいぶうまくなってくると(ここのステップは相当高いものなんですが)、

ストレートにそれを全部出してしまうことなく、コントロールして出しながら自分自身を相手に悟らせないように演技をする音が出せるようになる。

それによって、自分とは決定的に性格の違う作曲家とかも弾けるようになるわけですね。

ここまでいけたら大したものだ。

音楽の世界で十分食っていけます。

そしてその次の段階。

そんなスキルを最大限に使って、心の奥底の暗い淵ギリギリを歩くような、本当の意味で突っ込んだ音楽ができるようになると、

本当に自分の心の限界を引き出せるようになるがゆえに、最後はやはり人間性が出てくる。

ここまで来たら、大芸術家の世界です。

と、まあ、こんな段階を踏むんではないか、と思うわけです。

で、ここまでに何回「人間性」という言葉を使ったかわからないほど使ってますが、

そもそもそれは、「いい人間になれ」ということとは違うんですよね。

よく世間では情操教育ということが言われますが、

音楽をたくさん聞くといい人間になる、なんてことは全く信じられない話です。

周りの音楽家を見てればわかります。

変な人ばかりです(笑)。

小説家しかり、画家しかり。

ただ言えるのは、何もしないのに比べて心に直接訴えかける刺激を得ることが出来るので、

筋肉を鍛えればたくさん筋肉を動かすことができるようになるのと同じように、

心をたくさん動かすことが出来る人間になれる、ということじゃないかな。

何があっても何も感じることのできない人は、冷たい心でどんなひどいことも平気で出来てしまうのかもしれません。

そこで、少し心を動かすことが出来れば、心に痛みを感じて思いとどまるかもしれない。

でもこれは諸刃の剣で、心が動きすぎると自分の中でもう制御ができなくなって、

心が壊れてしまうかもしれないし、人の心を壊してしまうほうに向いてしまうかもしれないし。

絶妙なバランスを保つ、というのは誰にとっても難しいものです。

そんな中にあって、芸術家という職業の立ち位置としては、

心が壊れてしまうギリギリの淵に立って深みを覗き込む、というあたりじゃないでしょうか。

医療は、傷ついた身体の救済、

芸術は、傷ついた魂の救済。

そのためには、自分自身がちょっとしたことにも心のアンテナを働かせて、プラスにもマイナスにも振れ動き、

そしてそんな自分の心の中を深く覗きこんで必要な時に必要な心の傷を引っ張り出せることが必要になります。

そんな風にして日々生きているので、芸術家には変な人が多いんじゃないかな(笑)。

ある人が、

「春は心が開放に向かう季節なので、逆に閉じていく作業をしないといけない。

そのようにして、いつでもバランスの取れた平静の状態を保つのです。」

というようなことを言っていたそうなのですが、

確かに普通の生活をしていればそれに越したことはないでしょう。

でも、僕ら芸術家はそれをしてしまったらダメだと思うんですよね。

あえて、自分の心をさらけ出して傷を受けることをしないと。

そんな風にして、世間の思うところの理想的な人間像ではなく、

本当の意味でのその人その人の人間性というものが出来上がっていくのでしょう。

それは、一見欠点にしか見えないようなものもたくさんあるかもしれない。

でも、うまく持っていけば最高の長所にもなりうるものかもしれません。

引っ込み事案な人であれば、逆に自分の内へと掘り進んでいくような音楽ができるかもしれない。

自分自身に対してさえも自分を偽ってしまう人だったら、大きな感情の流れを一から作り出して輝かしい音楽が出来るかもしれない。

周りが見えてない人だったら、ひたすら没頭する深い音楽が出来るかもしれない。

ちょっとしたことに傷ついてうじうじする人だったら、優しさのにじみ出るような音楽が出来るかもしれない。

結局最後はその人の人間が出てくるんです。

それをどんなふうに自覚してどういう風に出すか、それによって美しい音楽にもなり、うまいことまとまらない音楽にもなります。

そこに向かって導くのが教えるものの役目でしょう。

どんな個性でも、一言のもとに否定しない。

そして、心と心で向き合う。

それによって、自ずとそれぞれの生徒の向うべき方向が見えてくるはずです。

・・・・・

いやぁ、自らハードルを死ぬほど高く上げてしまったcat

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CD!!!

やっとやってきました、

情報の解禁日。

3月11日からと4月10日から、僕が秩父で一体何をしていたのか、ということのnote

なんとなく予想のついた方もいるかもしれませんが、

実は、




レコーディングしてましたpresent





といっても、自分のCDではないんですがsnail

全音から出ている、「様式とテクニックが同時に学べる 後期ロマン派曲集」という楽譜の曲を全部録音するというお仕事でしたshine

あぁ、子供向けのCDなのね、と見過ごすなかれspa

ピアノのための後期ロマン派名曲集 上巻 様式とテクニックが同時に学べる

ピアノのための後期ロマン派名曲集 下巻 様式とテクニッ クが同時に学べる

知らない曲がほとんどだとは思いますが、よ~く曲目を見てみると、

ポツポツと「音大生でも難しいんじゃないか。」というような難易度の曲が出てきます。

上巻のほうはまだそこまででもないけれど、それでもブラームスのラプソディーOp.119-4とか、かなり年を取ってから弾くような内容の深い曲だし、

下巻のラフマニノフ:V.R.のポルカ、モシュコフスキー:火花、リスト:葬送曲、チャイコフスキー:ドゥムカ、

この辺はホロヴィッツが得意にしていたヴィルトゥオーゾピースで、かなり弾き甲斐があるというか、弾くのも大変な曲です。

そして、一度やってみたかった曲。

なので、僕自身のチョイスではないですが、こういう企画でもなければ出会わなかっただろう名曲も何曲もあって、きっと面白いCDだと思いますよhappy01

それに、楽譜とリンクさせて出るCDだからと言って、とりあえず見本の演奏を、なんて演奏は一切してません。

ぶっちゃけ、結構ぶっとんで弾いてる曲もあるくらい(笑)。

見本にしようとピアノの先生とか生徒とかが聞いたら、スピーカーの前でぶっ飛ぶかな、というような(笑)。

ちなみに、教育用の楽譜のCDと思って侮るなかれ、と言っておきながら、

この仕事をもらった時に、

「結構大変な曲ばかりだと思うんですがどうでしょう?」

と言われ、

「あ、いつでも大丈夫ですよ。(なんなら初見でもいけますよ!←心の声)」

とか思って侮っていたのは僕ですcoldsweats02

めちゃめちゃ大変だった~~sweat01sweat01

CDの発売は7月くらいになる予定みたいですよnote

そういえば、今月ももう月刊ピアノが出てるんですね。

エッセイ書いてるので読んでくださいねspa



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月刊ピアノ

そういえば、先月はバタバタしていてすっかり告知を忘れてました。

先月発売の4月号から3ヶ月間、「月刊ピアノ」にエッセイ書いてますnote

まだ手に入るかなぁ・・・

日々のことを気の向くままに書いているブログとはまた少しだけ違った切り口で書いてるので、是非読んでもらいたいですshine

ショパンに連載始めた時は、1ヶ月たった1回の文章があんなに大変だったのになぁ。

今では文章書くのが楽しくなってるっていうのは、不思議なものだhappy01

本職じゃないから、ある意味気楽というのも大きいかもしれない。

言いたい事が伝わればいいわけで、小説家のようにちょっとした言葉の陰影を使い分けて、ものすごく細かいところまでニュアンスを表現する必要はないわけで。

いや、そこまでやってみたくはあるけどcoldsweats01

でも、音楽家として文章を書く、というスタンスが一番楽しいのかもしれないなぁ。

何事も突き詰めれば突き詰めるほど、単純に「楽しい」なんていう次元では語れなくなるものなのでaries

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ピアノが上手くなるための三箇条

一.自分のやりたい音楽を強く持つこと。

一.その表現をするために必要なテクニックを身に着けるために、反復練習などの地道な練習をすること。

一.そして、本当に自分の思った通りのものが表現されているかどうか、常に第三者の耳を持って自分自身の音に耳をすますこと。

ピアノを勉強してる人の中で、

この3つの中で、1つ目がなんとなくでも出来ている人は、3割くらいはいるかなぁ。

2つ目の「練習」に取り組めている人は、9割くらいはいるかもしれない。

3つ目は僕自身も「出来てます」とまだ胸を張って言えないほど難しいことで、

これが出来る人は1%もいるだろうか。

本当はこの順番でないとおかしいはず。

2番目と3番目は逆でもいいかな。

でも、自分のやりたい音楽がまず強くあってこそ音楽は成り立つけれど、

とりあえず練習をすることから始まっている人がすごく多いような気がする。

指を動かすことから離れて、イマジネーションを自由に羽ばたかせることってすごく大事。

それが出来る人は、やっぱり伸びるし、

例え演奏家にはなれないのだとしても、豊かでいい音楽を奏でることが出来ようになると思う。

ものすごく弾けるけどやりたいことのない音楽よりね、

そっちのほうが、

人生遥かに楽しいような気がするなぁ。

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お風呂で譜読み

一昨日のブログで、「お風呂で譜読み」なんてことが書いてあったかと思いますが、

これにはちょっとエピソードというか、流れがありましてsun

まあそもそも僕がお風呂で譜読みを始めたのは、

2006年、モーツァルトの生誕250周年ということで、

この機にモーツァルト苦手意識をなんとか克服しようという意味もあって、

小田珈琲館で無謀にもモーツァルトピアノソナタ全曲演奏会をやらせてもらったんですねshine

18曲のソナタの中で、それまでにやったことのあった曲はたった2曲。

モーツァルトなんてCDでも聞くことのほとんどなかった僕は、メロディーすら知らなかったような曲もいくつもあり、

他のたくさんのコンサートをこなしながらそれだけの新しいソナタを仕上げるなんて、

ホントに無謀な試みだったわけです。

2週間弱で、ソナタ4曲譜読みから初めて暗譜までしないといけなかったり。

そんな中編み出しされた必殺技が、「お風呂で譜読み」。

まあそれだけ追い詰められてた、というだけのことなんですがcoldsweats01

でもこれが、予想外に良くて。

音を出してしまうと、弾くことに一生懸命になってしまうし、

何よりも、自分の今出せる音の中で音楽を作ることになってしまうために、

イマジネーションが制限されることがあるんですね。

それが、弾かずに楽譜だけ眺めてから弾くと、音楽の全体像がつかめて、音色のイメージも自分の中に明確に出来上がって、

驚くほどうまく弾けたりする。

しかも、お風呂の中では他に何もすることがないし、自分ひとりの空間なので、

結構集中出来るんです。

そんな中、

同じ年の10月に倉敷アカデミーアンサンブルと、モーツァルトとショパンのコンチェルト弾き振りというコンサートがあったんですが、

その時にもりやんがコンマスで、

前日の夜に「アンコールで何か弾いたら?」という話になったわけです。

コンマスという立場なので、もちろんアンコールを用意してるわけもなく、

しかもリハが終わったのが9時くらいとかだったので、次の日までにほとんど練習する時間もなく、

そんな時に、「お風呂で譜読みするといいよnote」と僕が勧めたんです。

そしたら、次の日までに見事にチャールダッシュを仕上げてきて、

それ以来、「お風呂で譜読み」はなんだか合言葉のようになってるんです(笑)。

皆さんも、お風呂で譜読み、オススメですよhappy01

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熱情

明日の朝日カルチャーに向けて、ここ数日また熱情を練り直してますが、

やっぱりすごい曲だ。

って毎回書いてる気がするなぁ。。。

いくらやっても、「これでいっか。」っていうところがない。

作りが無駄なものを一切そぎ落として作られてるから、逆にいくらでも突き詰めようがあるってことなのかなぁ。

ところで、Official websiteのコンサート情報更新しましたnote

5月から6月にかけて、リサイタルづくしです。

5月28日のつくば、

6月2日の金沢、

6月4日の宇都宮、

6月21日の倉敷

などですhappy01

見てくださいねshine

www.kaz-matsumoto.com

倉敷は、1999年、日本音コンの受賞者演奏会をデビューと位置づけ、

デビュー10周年コンサートという名目でやりますscissors

意外なことに久しぶりの地元でのリサイタルです。

盛り上げたいですねぇ。

宇都宮は、満員ですごく盛り上がった去年に続いて2回目☆

つくばと金沢は行くのが初めてなので、楽しみですnote

あ、眠り猫さんが

「具体的なスケジュールをブログをアップしてくれると助かる」ということでしたが、

是非Official websiteのほうを見てくださいねshine

リンクが分かりにくいかなぁ。

バナーでも作ってもらおうかなぁspa

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ラヴェル

ラヴェルのピアノコンチェルトの2楽章、

泣ける。

この人は、

きっと頭もすごく切れる人で、

自分の思うように人生を動かしてきて、

音楽的にもたくさんの功績を残して、

大きな名声を手に入れて、

でも、

なんでこんなに淋しい音色を作るんだろう。

窓から外の賑わいを見下ろしながら、

たくさんの年月を経てきたその背中でふと語る、

涙の粒のような音の流れ。

今までこの曲がいまいち理解できなかった自分が信じられないくらい、

こんな美しい曲はないと思う。

まだ今の自分には表現しきれないかもしれないけどね、

いい音が出せたらいいな。

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ヒンデミット

神戸にやってきましたbullettrain

今日もお風呂でゆっくりヒンデミットの譜よみですcoldsweats01

実際に音を出さずに楽譜とじーーーっとにらめっこしてると、普段は気づかないことがたくさん見えてきます。

よく考えて作られてるなぁ。

ほぼ無調だけど、緊張と弛緩の対比が最大限まで高められてて、ベートーヴェンやブラームスのように最後のクライマックスまでず~~っと息つく暇なく辿り着く。

ん~~~、やればやるほど面白い。

暗譜するだけでも大変だから、なかなか深く読むのは時間がかかるけど、全曲やってみたいものだ。

そのうち、オールヒンデミットプログラムとかやりますかnote

お客さん何人来るかなcoldsweats01

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悔しいぞっ!

ベートーヴェン4番コンチェルトのリハーサルしてきました。

後からその録音を聞いて愕然。

この曲は実はベルリンに来て2回目くらいのレッスンの時に持っていった曲なんです。

時は2000年秋。

今ではベートーヴェンはだいたい楽譜を見ると構造がなんとなく読み取れるようになってきて、うわべの表現じゃなくてどっしりと大きな流れを感じながら弾けるようにずいぶんなってきたけれど、

当時は勢い人生真っ只中。

あの頃とはずいぶん弾き方も音楽の捉え方も変わっているはずなのに、

体は昔の感覚を忘れてなくて、

指が勝手にそんな風に動いていってしまう。

弾いてる時はそんな自覚なかったのに、後から聞いてビックリ。

悔しいなぁ。

頭の中ではもっともっともっといい音楽が鳴ってるのになぁ。

全然形になってない。

くそぉ、明日までは絶対に形にしてやる~~。

なんだかモチベーションは高いぞrock

自分が頑張ればなんとかなるかもしれない、っていう問題は、やる気が出るなぁ。

でも、とりあえず時差ぼけだから今日のところは寝るとしよう。

この辺が詰めが甘いのか(笑)。

オヤスミナサイっmoon1

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シャコンヌ

明日はシャコンヌーーshine

やればやるほどすごい曲だなぁ。

そして、そんな偉大な曲をここまで自分流にアレンジしてしまったブゾーニもすごい。

ブゾーニが校訂したバッハの平均律クラヴィーア曲集の楽譜があって、

だいたい今の時代はヘンレ版にしてもベーレンライター版にしても、余計なことは書き加えずにもともと書いてあったであろうことだけを記す、という原典主義に基づいた楽譜になっていて、当然のように強弱もアーティキュレーションも書いてないんですが、

そのブゾーニ版は”これでもか!”というくらい、

そこここに「ここはp(ピアノ)で弾け」とか、「ここからここに向けてクレッシェンドしていって、ここでリタルダンドして」とか、「ここはレガートで、この音はスタッカートで」とか、

とにかく懇切丁寧に書かれています。

確か。(←手元にないので定かでない・・・)

今では聞くことのないような大げさな歌いまわしや盛り上げ方だらけで、ある意味興味深いけれどそのままやってしまうといつの時代の音楽かわからなくなってしまうような感じです。

でも当時はそういうロマン派っぽい弾き方が主流だったんですねぇ。

そんな彼が編曲したシャコンヌだから、当然のようにヴァイオリンの楽譜をそのままピアノに移したりするはずがない。

強弱も速度記号も書き入れて、

和音は分厚くして、ヴァイオリンなので単旋律だから、それに見合うようなバスや対旋律やオブリガードを自由自在につけて、ピアノという楽器の可能性を出来る限り引き出すような編曲になっています。

ここまで来ると、バッハの曲でありながらもう完全に別物だ。

それでも、バッハがすごいのかブゾーニがすごいのか、バッハの持つ荘厳さや神聖さは全く失われていない。

ここまで好き勝手やってる編曲でゲテモノ扱いされてないのは、この曲くらいじゃないでしょうか。

だから、演奏する側も「とりあえず派手派手ゴテゴテにしました!」という風に聞こえるようには弾いてはいけない。

でも、派手にはなっているわけだからそれもまたちゃんと生かさないとせっかくの編曲の意味がない。

じゃなかったら、原曲を忠実に再現したブラームス版のほうを弾いたほうがいいわけだから。

そういう意味では、意外といろんな要素が必要とされる曲なのかもしれません。

まあ、弾きながらそんなことをいろいろと考えているわけではないですがcoldsweats01

そうだ、クライストチャーチの大聖堂を思い出しながら弾こうsign03

さてさて、明日は昼本番だから早く寝ないとsweat01

オヤスミナサイmoon1

P.S.みんとさんおめでとうございますnote

P.S.2 なんで北叟が出るんだっΣ( ̄ロ ̄lll)。そのサイトはコピペさせてくれないサイトだったのだ。それにしてもなんで出るんだ・・・

P.S.3 減七和音というちょっとマニアックな話題に食いついてくれる人がいてくれて嬉しいhappy01

P.S.4 ぴーんち、ぱーんち、ぽーんちって全国共通じゃないのかっwobbly

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ピアニストのぶっつけ本番??

blumenさんのコメントへの返信☆☆

事前の指慣らしなどがないとエチュードがうまく弾けないということですが、

そりゃあもちろんピアニストにとっても大変ですよcoldsweats01

その日一日全く弾くことなくいきなり10-1弾けと言われても、正直僕も弾ける気がしません。

でも、もちろんそんなことを言っていては演奏家はつとまらないので、可能な限りあがきます。

例えば、リハでしっかりと弾いていても、本番まではどうしても少し時間が空いてしまうので、

本番の1曲目というのはいつも怖いです。

リハとは違う緊張感というのもありますし、リハで温まっていた筋肉がまた元に戻ってしまっているのか、指もスムーズには動かないような感覚があります。

でも、可能な限り最高の状態で始められるようにしないといけません。

いろいろと試したけど、僕としてはやっぱり気持ちを高めていくっていうのが一番かな。

最初からかなり指の動きが激しい曲だったら、ひたすら膝の上とかで指を動かすとか、変な疲れが出ない程度に体全体も動かすとか、そういうのも結構効果的かも。

でも、気持ちのコントロールが一番大切なんだと思います。

気持ちが引き締まったほうがよく弾けるタイプなら、

「本番だ、本番だ!!」と思って自分を鼓舞していくのがいいでしょうし、

逆に緊張しすぎてガチガチになって弾けなくなるようであれば、

「いつもは弾けてるから絶対大丈夫なはず。いつもと同じと思えば、弾けない理由がない」

とか自分自身に暗示をかけていくのがいいのかもしれません。

そして、もう一つのパターン、

アンコールなどでぶっつけで何かの曲を弾くという場合。

この場合は、それまでに十分体や指は温まっているわけなので、問題はその曲に対する恐怖心だけということになります。

確かにしばらく練習してなかったような曲をいきなりアンコールで弾くことはありますが、

本編でうまくいってアンコールでぐちゃぐちゃになる、という事態は絶対に許されないので、

基本的には自信のある曲しか弾きません。

それでも、これだけ長く演奏活動やっているとそういう曲のストックも増えてくるもので、アンコールのレパートリーだけでも多分コンサート半分くらいになる量はあるかもしれません。

そのために必要なのは、やはり同じ曲を何度も何度も人前で弾くこと。

月並みな方法だけど、それが一番効果があると思います。

別にコンサートじゃなくても、知り合いに聞いてもらうだけでもいいですし。

そういうのを経てだんだん、いつでもどこでも弾ける曲へと変わっていきます。

あと、エチュードなどの難しい曲では、練習ではちゃんと弾けているのに本番になるといきなり弾けなくなるということもあります。

その後でもう一度弾くとうまく行くのに、と。

結局やはり「弾けないかもしれない」という恐怖感から来るんでしょうが、そういう時には間違いなく体が固くなってます。

僕も、まだ慣れてない曲を弾くときなんかは固くなってしまいます。

そういう時って、もちろん練習をして弾けるようになることは一番大事ですが、

それだけじゃなくて、ちょっと気をつけて肩の力を抜いてみたり、上体を少し起こして視野と耳を広げてやるだけで、突然弾きやすくなったりするものなんです。

本番中にそこまで冷静になれる精神力を持つことはかなり難しいですが、少しだけ意識するだけでも変わるかもしれません。

せめて、弾く前には慌てずに一息置いて、体がリラックスしてるのを確認してから弾き始めましょう。

あと、ものすごく極端な考え方としては、少々固くなっていても不安があっても構わず弾けてしまうほどのテクニックを手に入れる、という方法もあります。

まあ、そんなことが簡単に出来れば誰も苦労はしませんが(^^ゞ

と、そんなところかなぁbread

ショパンのエチュードはどのエチュードにしても一筋縄ではいかない難しさがあって、大変だと思いますが、頑張ってくださいnote

そういえば、某テノール歌手から「リサイタルは大ホールか?」というコメントがありましたが、

文化の大ホールでリサイタルなんてとんでもありませんwobbly

小ホールで精一杯だ( ̄□ ̄;)!!

まあ音響的にも、ピアノのリサイタルなら小ホールのほうがいいしねshine

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ピアニストの練習方法Vol.2

さて、今日は自分がどう練習してるかというよりも、いろんなコを見てて気になったことを。

主に「キチンと弾く」というために気をつけることです。

レッスンしていて、そのコの家での練習方法まで見えてくるようなことがよくあるのですが、

もちろん、練習をしていない、なんてのは論外として(笑)、

せっかくたくさんの時間を割いて練習してるのにその時間が無駄になってしまうようなやり方でやっている人が結構います。

例えば、何度も何度も繰り返してるのに何のために繰り返したかを全く自分で分かっていないような人。

「なんだかうまく行かない」と感じて、アワアワともう一度繰り返してみて、またやっぱり何かがうまく行かない、そしてもう一度繰り返す。

端から見てると、直さないといけないところを何一つ気をつけれていなくて、何も良くなっていないばかりか、毎回あちこちで悪いところが現れています。

そういう人は一度手を止めて、どこがうまく行かなくてそれがなぜなのか考えて、もう一度繰り返す時はそこにものすごく気をつけて、そして直ったかどうかしっかり自分の音を聞きながら(←ここが大切)練習することが必要でしょう☆

あと、通して弾く時にもちょこちょこ止まってしまう人もいますね。

そういう人は、練習の時にもしょっちゅう止まってるんだと思います。

そして止まった時に、その場所か、もしくはさらに悪いと一つ後の音から弾き始めているようなケースが多いような気がします。

そこまでの流れの中で何か難しいことがあって止まってしまうわけだから、そこだけ弾けば弾けてしまうのは当たり前なことで、少し前からもう一度弾かないと弾きなおす意味がありません。

そして、本来のテンポで止まり止まり弾くだけではなくて、ゆっくりでもいいから絶対に最後まで止まらずに弾ける練習もすること。

そういう人は集中力も散漫になっていることも多いので、

「止まったらもう1回最初から弾きなおすんだよ。最後まで弾けるまで今日は終わらないよ。」

なんて言った途端、いつもより高い集中力が発揮されて弾けたりすることもあります。

そういえば、だいぶ昔に読んだ音楽雑誌に、

本番で間違えてしまうのは練習でも間違えて弾いていて間違い癖がついているから、

練習する時から一音たりとも間違えずに弾くようにしなければいけません。

間違えてしまうのであれば、間違えずに弾けるくらいのテンポから弾き始めないといけません、

なんてことが書いてあって、

勢い人生全盛期だった僕は、「なんじゃそりゃ?」と一笑に付していたのですが、

今はその意見も分かるような気がします。

この前サロン・テッセラくらび舎で弾いたポロネーズ第5番は、

外してしまう音がないように丁寧に丁寧に練習したお陰で、僕にしては珍しいくらいミスなく弾けました(^^ゞ

指がその音にスッとはまっていくような感覚は、なかなか今までなかったので新鮮でしたね♪

その点、長年弾き続けてるような曲は、今からミスを全部なくそうとしても癖がついてしまってて、なかなか難しいですね。

ただ、外さないようにだけ考えて練習するっていうのはすごく極端な話で、音楽的なものが何もなくなってしまう可能性があるので、その辺のバランスをうまく取ることが大切でしょう。

1回は音楽的なイメージを優先させて、少々弾けないところがあっても自分の弾いてみて、1回は外さないことに集中して練習する、

そんなペースがいいのかな。

いずれにしても、今日書いたようなことはキチンと弾くために大事なことだけなので、

それは音楽にとって単なるスタートラインに過ぎなく、一番大事なのは昨日書いたようなイメージを再現することだから、

昨日のようなことを意識するほうが大事かもしれません。

特に日本でピアノをやっているコには、とりあえず間違いなく弾けてるだけの人のほうが、ミスはあっても音楽的に弾けてる人よりきっと5倍くらいはいるだろうから、なおさらそうでしょうねcancer

しかし、こんな偉そうにいろいろ書いてるけど、人に意見すればするほどそれがそのまま演奏する時の自分に跳ね返ってくるんだよなぁcoldsweats01

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ピアニストの練習方法

さてさて、質問に答えなければ。

まあ、こんなタイトルをつけるほど大仰なものでもないですが(^^ゞ

そのメンデルスゾーンの曲についてあまり知らないので曲についてはコメントできないけれど、全体的な練習方法について。

練習の目的はかなり乱暴に分けると二つあると思います。

「キチンと弾けるようになること」と

「自分のイメージに近いような表現が出せるようになること」。

きっと大多数の人が最初のほうだけに焦点を絞ってやってるんだと思う。

でも本当に大事なのは後のほう。

まずそのために大事なのは、明確なイメージを自分の中に持つこと。

自分だけでそれが作り出せればそれに越したことはないけど、それが難しければCDを聞いてみるとか。(無言歌ならたくさんの名演奏があると思います。)

そして、どんな音質でどんな表情で、そしてどんな感情で弾きたいのかを自分の心で感じてから弾き始める。

それが一番大事なことではないでしょうかnote

一番気をつけなきゃいけないのは、ひたすら何週間か練習したあとですね。

もし最初は「こう弾きたい」というイメージを持てたとしても、

そのイメージを再現するために練習しているはずなのに、

がむしゃらに弾いてる間に、「自分が出したい音」よりも「実際に自分が出すことが出来る音」のほうに音楽が近づいていってしまう。

そんな時には、一度弾くのをやめて頭の中だけで音楽を考えてみたり、もう一度気に入ったCDを聞いてみたりすることも大切かもしれません。

そしてもう一つ、本番を常に意識して弾くこと。

本番というのは緊張ももちろんするだろうし、場合によっては普段とは違うレベルの集中力も出てきたりするので、家で弾いてるのとは違うようなことがたくさん起きてしまうものです。

だから普段の練習から、一日に1回はそこがステージだと思って弾くことが大切。

でも、そんなことが最初っから可能なわけはないので、やっぱり人に聞いてもらうことが大切でしょう。

そしてうまく行かないところとかがあれば、その部分は間違いなく自分の中でまだちゃんと消化出来てないところなので、その部分をあらゆる角度から完璧にしていく。

何度も弾いてみるだけじゃなくて、右手だけ、左手だけ、そこを突然弾いてみる、ちょっとだけ前から弾いてみる、ゆっくり弾いてみる、むしろ速く弾いてみる、

あと、大事なのが、自分の右のほうを意識して、出来れば練習では右のほうを実際見ながら、そこにお客さん(コンクールだったら審査員かな・・)がいると思って弾いてみる、

そんなことをいろいろとやってみるのがいいのかな。

いずれにしても、一人だけでピアノにかじりついてるといろんなことが見えなくなってくるので、ちょっと遠くを見ながら弾いてみる、窓の外を見ながら弾いてみる、とか視野を広げていくことが大事じゃないかなぁと思います。

そうすると、今まで弾けてたところがいきなり弾けなくなったりするから、その状態でも弾けるくらい余裕が弾けるようにする、そうすると本番でも余裕を持って弾けるようになるはずですshine

さて、「キチンと弾く」ということに関してもいろいろと書きたいことがあるんだけど、長くなってきたのでまた明日sign03sign03(とか言ったまま書かずに終わったものが過去にいくつもあるので、あまり期待はせずに待っていて下さい(笑))

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