普段しゃべる時も、言いたいことを1回頭の中で反芻してから口に出てくるんですよね。
意外と。
ペラペラとしゃべってるように見えて、一度頭の中のフィルターを通っている。
しゃべってる時でさえそういう状態なので、
「書く」という作業は自分にはテンポが遅すぎるんですよねぇ。
書いてる間に次の次の次の段落位まで頭が飛びすぎて、結局いろいろ考えすぎてまとまらない。
そんなことが多いような気がします。
じゃあいっそのことしゃべってしまえばいいのか。
ブログじゃなくてポッドキャストにしてしまうとかね。
ああ、それ面白いかもなぁ。
でも、ポッドキャストってブログに比べて聞く人が圧倒的に少ないような気がするし。
あ、しゃべって録音しといて、それをそのまま文章にすればいいのかな。
まだまだいろんな方法あるじゃないか♪
それでまた、いろいろと考えた末結局実行にはだいたいうつさないのも、僕の悪い習性なんですよね。
踏み出す勇気が足りないのか。
いや、ただ怠惰なだけなのか。
怠惰ではいけない、ストイックにならなければならない。
さて、思いだした。
まずは「腹式呼吸」のことを書こうと思ってたんでした。
レッスンしててある時ふと気付いたんですが、特に意識したわけでもないけれど、いつの間にか僕は演奏の時腹式呼吸をしてたみたいです。
そもそも、ピアノの人は呼吸が出来ない人がすごく多い。
ソロならまだそれでもなんとかなる場面もあるけれど、室内楽ではそれでは何も始まらない。
他の人と同じ呼吸が出来て初めてピタッと合うわけです。
音と音が重なりあうその点を合わせるんではなくて、そのひとつ前の呼吸を合わせようとする。
そうすると、呼吸は点ではなくて動きのあるものだから、どこで次の音が出てきてどういう音色でどういう進み方をするかが、あらかじめわかるわけです。
そうすると、音楽が一体となって、逆に言うと細かいところが少々ずれていても全体として一つの音楽に聞こえる、と。
で、レッスンでは「ここでほかの楽器と同じように呼吸をしてみて。」とか言うわけですが、
どうやってもなんだかしっくりこない。
いろいろとやってみて、自分の呼吸と比べてみているうちに、
「はぁはぁ、これは腹式呼吸が出来てないからだ。」と気づいたわけです。
いや、基本的なことかもしれないけれど。
でも、あまりにも自然にやっていたので自分でも気づいてなかったんですね。
そして、レッスンを受けるコの9割以上は腹式呼吸が出来ていない。
だから、ピアノや室内楽のレッスンで腹式呼吸の仕方を教えるというような、なんだかよく分からないことになってるわけです
腹式呼吸をすると、胸郭が広がって体が包み込むことのできるスペースがグンと広がるんですね。
胸に抱きかかえた風船がどんどん膨らんでいくように。
そして、息を吐くといっぱいに膨らんだものが抜けて行って体の重心も下がっていく。
それと同時に音を出すと自然に音が湧きあがってくるように出るわけです。
ピアノだけじゃなくて、弦楽器もたぶん一緒だと思う。
管とか歌とかは息そのものが音なので、ちょっと違うというか、むしろ腹式呼吸出来てないとそもそもちゃんとした音が出ないでしょうが。
ピアノは鍵盤を指で押さえれば一応音は出てしまうだけに、逆にそういう感覚が付きにくいのかもしれません。
さて、次の話題。
腹式呼吸とも関連はある話なんですが。
音楽をするのに体の動きってすごく大事なんですよね。
ここでは、音を出すためのテクニック的な体の動きではなくて、音楽の流れを作るための体の動き。
いつだったかレッスンで、いくら説明しても手本を聞かせてもいまいち表情がつかないなぁと思っていた時に、
「ここのところで気持ちだけで実際ちょっとかがみこんで弾いてごらん。」というと、それだけで音色がぐっと変わってその分に緊張感が生まれたことがあったんですね。
その辺から発展させたもので、
音楽的にフレーズが上に膨らんでいくようなところでは体の重心を上に釣り上げていき、
フレーズが終わっていくところでは力を抜いていって重心を落としていく。
後ろに隠れたような緊張感を出したい時は、さらに少し重心を下げてピアノのふたに隠れるような気持でやる。
そうすると不思議なことに音も実際そういう音になるんですよね。
たとえば、ショパンのノクターン2番。
これは、左手が3つごとに低い音を弾かないといけないので、そこでどうしても「よいしょっ」と体ごと動いてしまいがちなのですが、
右手のメロディは、「シソーーーファソファーーミーー」までは少なくともつながっている。
だから、途中で重心を落としてしまってはいけないわけですね。
最初のアウフタクトのシからソに向けて坂を登っていくように重心を一気にやわらかく上げて行って、
最後のミまでかけて少しずつ下ろしていく。
また次の「シ」でいったん沈んで、「ソー」に向けて体を上げていき、
「ドレドシド」で一旦少し谷を作って、1オクターブ上の「ドー」に向けて優しく放り投げるように上に体を持っていく。
この時に少し視界も上を意識できるとなお効果的かな。
っていうようなことをやるわけです。
なんてことはない。
音の高さそのままの動きです。
で、重心重心と言ってますが、
その重心はどこにあるかというと、気持ち的にはみぞおちのあたり。
上げて行ってというと肩から上がっていきがちですが、
体の中心からまず動き始めないと意味がないどころか、無駄な動きでかえって音楽の流れを阻害してしまうので。
腹式呼吸でたくさん息を吸い込むとぐっと開く部分があると思いますが、その辺がだいたい意識する場所です。
その重心を体の真ん中から上げていくと、その後ろにある肩甲骨のあたりの筋肉が反応して、
腕を持ち上げて行く。
自然な腕の動きが出来るわけです。
腕を持ち上げるのはひじの関節でも肩でもなくて、肩甲骨なんですよ。
その辺はテクニックにも関わってくる話なので、また後ほど。
重心の動かし方というのはもちろん上か下かというような単純なものではなくて、
少し前のめりとか、胸をしっかり開くとか、
しっかり音を出して重心も上に釣り上げながらも、緊張感も同時に作り出したいので胸元が開き切ってしまわないようにするとか、
いろんな要素があるわけです。
これらは体の一番奥の部分を動かしていく作業なので、
外から見ていてもあまり分からないかもしれません。
少しこれ見よがしにやってもいいし、
ほとんど動いてないように見えながらも体の内側だけ動かすようにやってもいいでしょう。
難しいけど。
もっと達人になると、実際何も動いてないけれど、感覚だけはそれを残して音楽はそういう方向に持っていくなんてことも出来るようになるでしょう。
こんな風に、クラシックにはかなり方法論があるわけですね。
この方法はもしかしたら僕独自のものなのかもしれないけれど。
でも、体の動かし方にしても、テクニックにしても、音楽の持っていきかた、分析の仕方、
クラシックにはいろいろと方法論があって、
それを全部会得していけばかなりの段階までは弾けるようになるはずです。
もちろん奥が深いのでそう簡単にいろんなことができるようになるはずはないですが。
でも、自分で一から今までになかったものを作り出さなくてはならないジャズとかポップスと比べて、
指標が見えやすい世界だとは思います。
それでもやっぱり、8割はそういう勉強で出来上がるとしても、
あとの2割はその人その人のイマジネーションです。
歴史に名前が残るような大巨匠は、往々にしてそのイマジネーションの量が半端じゃなくすごくて、
方法論なんて全部吹き飛ばすような変な説得力を持ってます。
いろんなこと考えて、自分でも研究して、人にも教え込んで、
その後でホロヴィッツを聞いてしまうと、いつもすべてがばからしく思えてしまうわけですが。
結局あんな音色と表情が出てしまえば、そんなことはもうどうでもいいじゃないか、と。
でも、そんなことが出来る人は世界で何十年に何人もいない次元の話ですからね。
そう、何が言いたかったというと、
方法論を全部吹っ飛ばしてしまうようなイマジネーションを持つことが必要、ということではなくて、
理論もイマジネーションもどっちもバランスよく持つことが大切だよ、ということです。
だいたいどっちかに偏るんですよね。
しっかりコツコツと取り組めるコは、音楽が小さくなってしまったりする。
すごい音楽性を持ってるコは、うまくまとめたり当たり前のことを当たり前にこなしたりするのが苦手だったりする。
まあそういう僕も偏ってはいるでしょうが。
しかし不思議なことに、
昔から感性のほうに極端に偏っていると思われていたし、自分でもそう思ってたわけなんですが、
レッスンすると驚くほど論理的になってしまうんですよね。
逆に、なんとなく大きなイメージを湧きあがらせるほうが得意じゃなかったりする。
まあそういうときは弾けばいいので、ものすごく困ってはないですが。
でもこれは、レッスンし出してからの発見ですね。
自分自身に対する。
だいたい昔から、音楽以外のことでは屁理屈をこねるようなタイプで、
やっぱりそういうところが出るんでしょうね。
音楽になると途端に論理的思考が飛んでしまうのも不思議ですが、
でも元がそんなだから、感性が爆発したものを無意識のうちに論理的にまとめてたんでしょうね。
だから、自分がやったことはだいたい後からなら説明できます。
どうしてそういう表情でそういう崩し方で弾いたか。
弾いてるその時は本能で弾いてるような感覚ですが。
さてさて、もう1時間近くブログを書いている。
ほとんど推敲も見直しもしてないですが。
しゃべったら15分くらいでしゃべれそうな内容なのになぁ。
やっぱりポッドキャストか!!
いよいよ。
おやすみなさい
(今日は満月~~☆)
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