音楽

改めて感動~ショパン:ピアノソナタ第3番

なんという名曲sign03

1楽章の苦悩、

2楽章の無邪気さ

3楽章の天国

4楽章の歓喜

まるで第9のようだflair

いろんな表情を見せてくれる1楽章からだんだん方向性が定まってきて、

4楽章に至ってはもう2つくらいの要素しかない。

A-B-A'-B'-A''-Coda。

ショパンお得意の、

テーマが戻ってきた時は最初に出てきた時よりも盛り上がるように作られている書法で書かれている。

同じ書法で書かれたものとしては、

例えば1楽章では、再現部は第1主題じゃなくて第2主題で戻るようになっていて、

しかも戻ってきた時はフォルテ。

展開部の最後のほうからの粘り強い盛り上がりから、

光が一気に広がるように主題が戻ってきて、

最初に提示された時のやわらかくてはかない印象を一気に吹き飛ばしてくれる。

2番ソナタの1楽章も同じように作られてるね。

そして、なんだかよくわからないうちに終わってしまう2番の4楽章と違って、

3番の4楽章はものすごくガッチリと構成されている。

単純なロンド形式なんだけど、

テーマが戻ってくるたびにエネルギーは濃さと推進力をどんどん増して行く。

ロンドはもはや回るようにテーマが戻ってくるものではなくて、

先へ先へと車輪が膨らみながら、

光のほうへと向っていくよう。

そして最後にたどりついたdurの部分で、

彼は光と歓びとを得て、天高く昇っていく。

もはや細かいニュアンスなんていらない。

いつまでもその生きる力のようなエネルギーを持ち続けるだけで、

曲が自然と最後まで運んでくれる。

どうやってこんなに力強い曲が書けるんだろう。

ベートーヴェンのように最初から強さを持っていた人ではなくて、

線の細い、傷つきやすい青年が書いた力強い曲だからこそ与える感動がある。

なんか最近、いろんな曲に対する共感度が上がってきたというか、

その曲にこめられたものの大きさにより深く気づけるようになってきたような気がする。

それを自分で表現できるかどうかというのはまた別の問題としてだけど。

昔は、自分がどう表現するかということにばっかり意識が行っていたような気がするけど、

今は作曲家との深い対話が出来る。

彼の心の痛みを自分自身の心の痛みのように感じることが出来る。

幸せなことだなぁ。

これを知らずに人生終えてしまう人は、絶対もったいない。

それだけ、過去の偉人が残したものというのは、自分の心の中に大きな足跡を刻んでくれる。

あとは、いかにしてそれを音に出していくか。

ん~、時間とストイックさがもっと欲しいぞdash

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「変わる」ということ

さぁ、今日は仕事始めrun

午後からレッスンしてましたnotes

と言っても、明日からはまた休日ですが(笑)。

夕方からさっきまではほぼずっとピアノ弾いてたんですが、

久しぶりに大量の譜読みから解放されて、

ショパンの3番ソナタで深める作業をしてると、

だんだん頭も活性化してきたみたいで、

お風呂でぼーっといろいろと考えてました。

とりあえず書き留めてみるかな。

文章ぐちゃぐちゃになるかもしれませんが。

思ったのは、「変わる」ということに関して。

変わる、というのはたぶん人が思っているよりもはるかに難しい。

何かが上達するということは、常に変わり続けるということなわけだけれど、

一つ一つの変化が大きく、しかもいい方向に進めば、

ぐっと上達するんだろうなぁ。

ちょっとした小さい目に見える変化というは、そんなに難しいことじゃないけど、

例えば自分で言ったら「どうやったら苦手な料理がうまくなるんだろう。」とかそのくらいの次元の変化、

これは相当難しい。

僕の場合は、だいたい何かがうまくいかない場合は慎重になり過ぎてることが多い。

それか、細かい単位で物事を考えすぎなのか。

不思議なことに、音楽だけはものすごい思いきりを持って出来るんだけど、

他の事に関しては結構外堀のまた外堀から埋めていくタイプで、

しかも、本丸をぐっと見据えながら外堀を埋めていくのではなくて、

とりあえず今埋めてる外堀の周囲だけ見てしまう。

周りが見えないわけじゃなくて、下手に周りが見えすぎてそのもっと向こうにある一番大切なものまで目が届かなくなってしまうというわけ。

ここでまた料理の話に戻って、

料理がうまい人、たとえばカウンター越しに見える中華料理屋のコックさんとかを見てると、

ガーっと勢いだけでやっているように見えて、きっと全部感覚的に計算出来てるんだろうなぁと思う。

そういう人の感覚を、そのまま全部取りいれることが出来ないものだろうか。

コックさんを見て「上手いなぁ!」と思って、自分も上手にやろうと思って、

さて、彼はどんな手の動きをしていただろう、どんな風に調味料を振っていただろう、

どんな順番で材料を入れて、

とか考えて、

いつもどおりにフライパンを火にかけて、いつもどおり油をひいて、

ちょっと
だけ手の動きを考えてみる。

これじゃあたぶん、はたから見たらほとんど何も変わってないんだと思う。

要は、(ここ大事!!)

何か変わろうとしてる、と自分では思っても、結局今まで長年やってきた自分のやり方から離れられてない、ということ。

体で、頭で覚えているそのやり方は、やっぱり自分にとっては心地いいもので、

問題意識を持っていてもなかなか根本的に変えてしまうことが出来ない。

それじゃあ何も始まらないから、

そのコックさんの体の一番奥から、頭の一番奥から、その感覚をまるごとそのまま自分の中に取りこんで、

彼が自分の中に乗り移ったと思って、全てを変えてやってみようと思ったら、もっと劇的に変わることが出来るんじゃないかなぁ。

最初はぐちゃぐちゃなものが出来てしまうかもしれないけど、

だんだんそれが自分の感覚ともマッチするようになってくれば、

今までより格段にいいものが出来るんじゃないかなぁ。

・・・でちなみに、ここまで自分の料理の話をしてきたのは、例えを出したかっただけで、

そこまでの労力を割いて料理が得意になろうとは実際思わないわけですが・・・cat

これはそのまま音楽にもあてはまることで、

たとえば、安全圏を求めてなかなか攻めた音楽が出来ない人が、

どうやったら、一か八かの音楽、ものすごいリスクを冒しながらもエキサイティングな音楽、一歩間違うと崩れてしまうような刃物のような鋭い切なさをもった音楽、

そんなものが出来るのだろう。

逆に、なんとなく感覚はあって勢いもあるけれど、細かいところが全然仕上げられない人が、

どうやったら、100回弾いても100回とも音を外さずに、一つ一つの細かい音まで神経を行き届かせて演奏し、そして根気強く練習することが出来るだろうか。

ちょっと頑張るくらいじゃあダメで、自分が他人になったくらいの勢いでいろんな感覚を変えていかないといけないんだと思う。

結構大変な作業だ。

忍耐力がすごく必要。

根気強く練習出来るようになるのに忍耐力が必要なのはもちろんだけど、

一か八かの音楽が出来るようになるのにもやっぱり忍耐力が必要。

そういうものっていうのは、普段の練習の結果が音になって表れるものなので、練習の仕方から変えていかないといけないんだけど、

一か八かの人というのは最初っから一か八かの練習の仕方をしている。

そこで一音一音確実に読んでいって、少しずつ少しずつテンポを上げていくような練習の仕方をしてる人がそれをやろうと思っても、

自分自身の音に耐えられなくなると思う。

きれい好きな人に決して部屋の掃除をするなと言っているようなものだから。

そこで踏みとどまってぐちゃぐちゃなままでもさらに練習を進めるためには、やっぱり忍耐力が必要。

汚い音が出てきても、とんでもなく弾けなくても、それに耐えて突進あるのみ。

っていうふうに、自分のやりかたとか考え方とかを根本から覆すことが出来るようになれば、

極論だけど、

人間、何にでもなれるんじゃないかな、という気がしてくる。

得意不得意、とか向き不向きってのは、今まで培ってきた自分のやりかたが残ってしまってるからで、

それ自体をこんな風にして変えていくことが出来れば、

どんなものでも得意になれるんじゃないかな、と。

まあ夢のような話ですが。

まあでも、そこまで行かなくても、もっと土台から崩してまた組み立てていくくらいの勢いで変わらないとなぁ、と思うことはたくさんあります。

あ、逆に、変わろうとしすぎてフラフラしてしまう人もいるかもねぇ。

それも結局同じことで、変わろうとしすぎていることがあまり良くないことだとわかっても、

結局常に変わり続け過ぎる、というやり方が体に染みついていて心地いいから、ついいつもそっちに流れてしまう。

そういう人は、「変わらない」という自分になるという変化をしないといけないんだろうな。

これもまた忍耐力がいる作業だ。

さて、書いてるうちに眠くなってしまったので、そろそろ寝るとしますかshine

お風呂で考えてる時はもっとどんどん考えが湧き出てたのになぁ。

その時すぐブログを書けば良かったのかflair

僕は何にしても、瞬発力でがーっと思いついたり動いたりして、それが長続きしないんですよね。

なので、ず~~~~っと考えてる、ということがない。

10分あとにはもう全然違うこと考えたりする。

次の日になるともうそれだけ熱を入れて考えてた感覚をほとんど思い出せなかったり。

ちなみに、このブログを書きながらも、何回他のことをしただろうか。

他のサイト見たり、ストレッチしてみたり、耳掻きしてみたり、

落ち着きないなぁ。

一度に一つのことしか出来ない人になるように劇的に変われればいいなぁ。

その際に、自分の長所である、周りが見えること、とかたくさんのことを処理できること、とかは失わないまま。

ん~~、難しい。

というわけで、

なんだかいまいち考えがまとまってなくて不完全燃焼気味ですが、

論文じゃなくてブログなので良しとしようscissors

オヤスミナサイhappy01




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孫子

「敵を知り、

己を知れば、

百戦危うからず」

敵ではないですが、

音楽においても、

作曲家のこと、また理想的なテクニックのことなど、

知ろうと思っている人はすごく多いと思うし、

その真剣度もかなり高いと思います。

でも、それと同じくらいの濃度で、

「己」のことも知ろうとしている人があまりにも少ない気がします。

欲しいテクニックはこういうもので、

それに比べて今の自分の状態はどうなのか?

この作曲家はこういう人物で、こういう性格で、

そして、そういう人物を向き合う自分はいったいどういう人物なのか?

自分というのがまっさらな機械ではない以上、

今の自分を把握して、

どこを変えればいいのか、

どこは自分の美点として残していくべきなのか、

たくさん考えて、

自分と対話をすることは、

すごく大切なことだと思いますshine


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染み付いた感覚

昔弾いた曲を掘り起こしてさらにうまく弾くというのは、意外と難しい。

音楽的に見てもそうだけど、テクニック的に見てもやはりそう。

昔よりはるかにテクニックはついてきてるはずなのに、

あの時弾けなかったあそこの部分、やっぱり弾けない、ってことがあると思う。

特に、たくさん練習した曲であればあるほど。

それって、もう体に感覚が染みついてしまってるからなんですねぇ。

人間の記憶ってすごいもので、それぞれの場面での体の筋肉の使い方まで無意識に覚えているものらしい。

だから、昔のままのテクニックでの体の動き(指先まで全部含めて)がどうしても出てきてしまって、

今この曲を初めて練習したら、ここをこんなふうに使ってもっと効率的に弾くはずなのに、

昔はもっと力が入ってて硬直してたから、やっぱり今弾いてみてもうまく動けない、

ってことになるわけだ。

で、なかなかそこに気づくのがこれまた難しい。

そして、全部直して行ってると果てしない作業になる。

それから通して弾くと、また元に戻ってたりする。

でも、そこを乗り越えると、きっとはるかにうまく弾けるようになるはず。

コツコツした作業も大事sign01

がんばろconfident

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シューベルトとメンデルスゾーン

最近、レッスンでシューベルトを久しぶりに弾いてみることがあったんですが、

やっぱりシューベルトいいなぁnote

19歳くらいの時に作ったイ短調ソナタ。

まだまだベートーヴェンっぽいがっちりした形式のものを作ろうとしてもがいてる感満載ですが、

突然シューベルトらしい美しくてはかないメロディーが出てきたりするんですよね。

どこまでも澄んでいて、清らかで、

なのに、「いったいその年でどれだけのものを心の中に抱え込んでるの?」と言いたくなるような表情がこもっている。

あの世との境界線が見当たらないような、

つらいこともさみしいことも山ほどあったけど、

どうせ人間は無から生まれてきて無に帰すんだ、

って言ってるような表情。

これが後に、本当に自分が死ぬことが分かった後は差し迫った苦悶の表情を見せたりするんですが。

そして、その後には、少年の青いあの世への憧れではなくて、本当の意味で全てを諦めきって浄化されたような美しさにたどり着きます。

でもまだこのソナタは、そこまではいかない、異常なほど多感で純粋で、だけどいろんな負の感情、世の中の暗い部分も知ってしまった少年のモノローグ。

特に2楽章とかは泣けますねぇ。

19歳かぁ。

50歳になってもうまく弾けるような気がしないな~~eye

そして、メンデルスゾーン。

小田珈琲館での漆原さんとのコンサートで、ソロで何曲か無言歌を弾こうと思ってるんですが、

この人もまた非常に澄んだ音楽を作りますね~~。

ただシューベルトと違うのは、何不自由ない豊かな育ちで、才能にも環境にも恵まれ、いろんな意味で成功していたこと。

なのでシューベルトのように、突然心の奥底の暗い淵を微笑みながら覗き見せられるような感覚はありません。

その代わり、すべてに恵まれていたからこそ感じていたのかもしれない空虚感、みたいなものがじんわりと胸に染みてきます。

春の歌とか、あんなに単純で美しい曲なのにねぇ、

なんかどこかさみしげというか、やっぱりはかなげというか。

メンデルスゾーンは、3番の交響曲「スコットランド」とかは大好きだったんですが、

他の曲はだいたいなんか物足りない感じがしてたんですよね。

でも、今回いろいろ弾いてみて、ちょっと魅力を感じ始めました。

ちょうど今年はメンデルスゾーンの年だしねshine

結構知ってたはずの作曲家でも、どんどん新しい側面が見つかるもんですねぇ。

いろんな曲を演奏して、いろんな作曲家を奥深くまで知りたいな。

ピアノは曲数が多いので、駆け足でやっても一生に全部の曲なんてなかなか出来ないだろうけど。

ベートーヴェンのソナタすらまだ半分も出来てないもんなぁ。。。

でも、急ぐと掘り下げられないし。

ん~~、時間がたくさん欲しいbearing

睡眠時間を削りたいくらいの気持ちですが、睡眠も欲しいsleepy

というわけで、おやすみなさいspa

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戦場と氷

「本番のステージは戦場のようなものである。」

そんな風にずっと思っていた。

確かに、毎回本番の前は、戦場に向かうようなある種の悲痛な決意を感じて一歩を踏み出す。

もちろん実際の戦場はそんな生易しいものではないだろうけど・・・

戦場。

勝つか負けるか?

勝たない限りは生きて帰って来れないのか?

ちょっと前に友人に「ステージは戦場だ。」と話をしてから、

なんだか逆に自分の中に疑問が湧いてきた。

何か違うような気がする。

自分は一体何に勝ちに行ってるんだろう。

負けとはなんだ?

失敗しないこと?

いや、そんなことは簡単なこと。

失敗しない”だけ”なら笑いながらでも出来る。

最高にうまく弾こうと思わなければいいだけ。

じゃあなんだろう。

最高にうまく弾くことが勝ち?

いや、確かにそれは目指すところではあるんだけど、

そこがゴールではないような気がする。

なんだろう。

しばらく考えていたんだけど、

小田珈琲館の後に、ファンの頭領のような方(笑)に、

「日々忙しくて大変だけど、いつも演奏聞いてパワーをもらっとるんよ。」

と言われた時に、謎が解けた。

いや、その時すぐには解けなかったのかな。

その時は、「演奏するというのは身を削るような作業だけど、それによって人が救われるならいいことだ。」

くらいにしか思わなかったかもしれない。

でも違う。

救われているのは結局僕自身なんだ。

僕はこう見えて、世界を常に拒絶しながら生きているようなところがある。

そうじゃないと自分が壊れてしまうから。

必要以上に論理的に物事を考えてしまうのも、たぶんそのせい。

論理の枠に自分を押し込めていないといけない何かがあるから。

たとえば、リストとかもきっとそういう人だったんだろうと思う。

そんな僕にとって、音楽というのは自分の心の奥底の、自分自身に対してすら隠された部分を表す唯一の手段。

言葉では表せない。

音によってのみ、その部分は解き放たれる。

と言っても、音を出せばすぐに出てくるほど単純なものではなくて、幾重にもプロテクトされた扉を開くのは相当な覚悟とエネルギーが必要となる。

そこで、「戦場に出て行く」ような悲痛な心持が必要になってくるわけだ。

目的は勝つことではなくて、解き放つこと。

そして、そこもまだゴールではなくて、大切なのはそれによって誰かが心から共感してくれること。

心から。

それによって、僕が自分で封じ込めた奥底の繊細な部分が開かれる。

氷が少し解ける。

そのためだったんだ。

誰かの気持ちがこっちにまっすぐ向かってくることによって、自分も生かされている。

自己顕示欲とか、来るもの拒まずとか、そんな軽い次元の話ではなくて、本当の意味で。

音楽は人の魂の救済、なんて言ってるけど、

結局人間、一番救ってるのは自分自身の魂なのかもしれないね。

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長編小説

ベートーヴェンのソナタの魅力って、長編小説みたいなもんですな。

語り口の巧さ、個性的な比喩表現、

そういうスッと飛び込んでくる部分ではなくて、

長い目で見た伏線の絶妙な張り方、ドラマの起こるまでの物語の流れ、

そこでいかに印象的なフレーズを作り出すかではなくて、

その印象的なフレーズをどこでどのタイミングで使えば一番効果的に心に入り込んでくるのか、

そんなところまで見据えた計算、

そんなところに良さがあるんじゃないでしょうか。

もちろん一部分だけ聞いても十分魅力的ですが、

全曲通して聴いて初めてその真価が分かるように出来ている。

たとえば、運命の4楽章では歓喜が押し寄せるわけですが、

それも3楽章の暗くて長いトンネルをくぐり抜けた後だからこそ大きな爆発になるわけです。

その長いトンネルの前には、3楽章冒頭でホルンで堂々と鳴らされたテーマが極限の緊張感を持って静かにピッチカートで演奏されていて、

堂々としたカッコイイメロディーだという記憶がまだ残ってるそのうちに、まったく同じものがこれ以上ないほど静かにならされるから、

その対比で余計に印象的になるわけですね。

そして、そのためには、フォルテッシモで弾いてもピアニッシモで弾いても成り立つモチーフというのを作り出さないといけないわけで、

そのためにはなるべく簡潔でしかも印象深いモチーフが必要となるわけですね。

この意味において、

運命のジャジャジャジャーンというモチーフほど短くてしかもドラマチックなものは、

他になかなかないでしょう。

これこそが、ベートーヴェンが完成させた「主題労作」というスタイルですね。

こうやって逆から読み解いていくと、なんかまた違った見え方をして、よりその意義がわかるような気がするなぁ。

考えれば考えるほど、ベートーヴェンの音楽ってよく出来てますshine

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ドイツ物

ベートーヴェンとかブラームスとかのドイツ物って、

突き詰めれば突き詰めるほどいろんなものが見えてくるから、面白いshine

イメージふくらましてどうこう、ってのももちろん大切ですが、

全ての音が論理の上に立って書かれているので、

その論理を紐解いていくだけで9割くらいの完成度にはなるんじゃないかなぁ。

しっかり考えられれば音楽が出来上がる、と聞くと、

一見簡単そうに聞こえるけれど、

その紐解く作業自体が簡単なことではないし、

その頭で理解したものをいざ音に出すというのも十分難しいので、

なかなかそこにすらたどり着けないわけですが。

そしてもちろん、その9割の先の強烈なイマジネーションなしには、

人を感動させる音楽はできないわけですが。

ちなみに、あさってのコンサートでは、

ヴァイオリンソナタは、

ベートーヴェンの7番、ブラームスの3番、モーツァルトのK.301と

ドイツ物ばかりです。

楽しいけど、結構体力と精神力を使うプログラムだcoldsweats01

でも、若いうちしかこういうチャレンジングなプログラムは出来ないだろうからねぇ。

今のうちにしっかり頑張っとけば、年を取っていろんなことが気負わずに出来るようになるのだ、きっとnotes

あと、今更ながら、あさってのコンサートの情報、

Kazumasa Matsumoto official websiteにアップしました・・・。

いまさらですが・・・cat

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音楽における体の動かし方

さて、昨日は思わせぶりなタイトルで、一部の方には若干失望感を味わわせてしまったので(笑)、

今日こそは書こうかな。

しかし、何を書こうと思ってたんだっけかな。。。

しゃべってると、口が先に動いてるのかな、というくらいに普段考えてることが次から次へととめどなく出てくるんですが、

いざ腰を据えて文章にしようと思うとなかなかまとまらない。

とか書いてる時点でもうこの文章はまとまってない。

でも、変にまとめようと思わない方がいろいろ出てきて面白いのかもしれない。

しゃべるように書く。

これぞ、ブログの鉄則!!(たぶん・・・)。

普段しゃべる時も、言いたいことを1回頭の中で反芻してから口に出てくるんですよね。

意外と。

ペラペラとしゃべってるように見えて、一度頭の中のフィルターを通っている。

しゃべってる時でさえそういう状態なので、

「書く」という作業は自分にはテンポが遅すぎるんですよねぇ。

書いてる間に次の次の次の段落位まで頭が飛びすぎて、結局いろいろ考えすぎてまとまらない。

そんなことが多いような気がします。

じゃあいっそのことしゃべってしまえばいいのか。

ブログじゃなくてポッドキャストにしてしまうとかね。

ああ、それ面白いかもなぁ。

でも、ポッドキャストってブログに比べて聞く人が圧倒的に少ないような気がするし。

あ、しゃべって録音しといて、それをそのまま文章にすればいいのかな。

まだまだいろんな方法あるじゃないか♪

それでまた、いろいろと考えた末結局実行にはだいたいうつさないのも、僕の悪い習性なんですよね。

踏み出す勇気が足りないのか。

いや、ただ怠惰なだけなのか。

怠惰ではいけない、ストイックにならなければならない。

さて、思いだした。

まずは「腹式呼吸」のことを書こうと思ってたんでした。

レッスンしててある時ふと気付いたんですが、特に意識したわけでもないけれど、いつの間にか僕は演奏の時腹式呼吸をしてたみたいです。

そもそも、ピアノの人は呼吸が出来ない人がすごく多い。

ソロならまだそれでもなんとかなる場面もあるけれど、室内楽ではそれでは何も始まらない。

他の人と同じ呼吸が出来て初めてピタッと合うわけです。

音と音が重なりあうその点を合わせるんではなくて、そのひとつ前の呼吸を合わせようとする。

そうすると、呼吸は点ではなくて動きのあるものだから、どこで次の音が出てきてどういう音色でどういう進み方をするかが、あらかじめわかるわけです。

そうすると、音楽が一体となって、逆に言うと細かいところが少々ずれていても全体として一つの音楽に聞こえる、と。

で、レッスンでは「ここでほかの楽器と同じように呼吸をしてみて。」とか言うわけですが、

どうやってもなんだかしっくりこない。

いろいろとやってみて、自分の呼吸と比べてみているうちに、

「はぁはぁ、これは腹式呼吸が出来てないからだ。」と気づいたわけです。

いや、基本的なことかもしれないけれど。

でも、あまりにも自然にやっていたので自分でも気づいてなかったんですね。

そして、レッスンを受けるコの9割以上は腹式呼吸が出来ていない。

だから、ピアノや室内楽のレッスンで腹式呼吸の仕方を教えるというような、なんだかよく分からないことになってるわけですcoldsweats01

腹式呼吸をすると、胸郭が広がって体が包み込むことのできるスペースがグンと広がるんですね。

胸に抱きかかえた風船がどんどん膨らんでいくように。

そして、息を吐くといっぱいに膨らんだものが抜けて行って体の重心も下がっていく。

それと同時に音を出すと自然に音が湧きあがってくるように出るわけです。

ピアノだけじゃなくて、弦楽器もたぶん一緒だと思う。

管とか歌とかは息そのものが音なので、ちょっと違うというか、むしろ腹式呼吸出来てないとそもそもちゃんとした音が出ないでしょうが。

ピアノは鍵盤を指で押さえれば一応音は出てしまうだけに、逆にそういう感覚が付きにくいのかもしれません。

さて、次の話題。

腹式呼吸とも関連はある話なんですが。

音楽をするのに体の動きってすごく大事なんですよね。

ここでは、音を出すためのテクニック的な体の動きではなくて、音楽の流れを作るための体の動き。

いつだったかレッスンで、いくら説明しても手本を聞かせてもいまいち表情がつかないなぁと思っていた時に、

「ここのところで気持ちだけで実際ちょっとかがみこんで弾いてごらん。」というと、それだけで音色がぐっと変わってその分に緊張感が生まれたことがあったんですね。

その辺から発展させたもので、

音楽的にフレーズが上に膨らんでいくようなところでは体の重心を上に釣り上げていき、

フレーズが終わっていくところでは力を抜いていって重心を落としていく。

後ろに隠れたような緊張感を出したい時は、さらに少し重心を下げてピアノのふたに隠れるような気持でやる。

そうすると不思議なことに音も実際そういう音になるんですよね。

たとえば、ショパンのノクターン2番。

これは、左手が3つごとに低い音を弾かないといけないので、そこでどうしても「よいしょっ」と体ごと動いてしまいがちなのですが、

右手のメロディは、「シソーーーファソファーーミーー」までは少なくともつながっている。

だから、途中で重心を落としてしまってはいけないわけですね。

最初のアウフタクトのシからソに向けて坂を登っていくように重心を一気にやわらかく上げて行って、

最後のミまでかけて少しずつ下ろしていく。

また次の「シ」でいったん沈んで、「ソー」に向けて体を上げていき、

「ドレドシド」で一旦少し谷を作って、1オクターブ上の「ドー」に向けて優しく放り投げるように上に体を持っていく。

この時に少し視界も上を意識できるとなお効果的かな。

っていうようなことをやるわけです。

なんてことはない。

音の高さそのままの動きです。

で、重心重心と言ってますが、

その重心はどこにあるかというと、気持ち的にはみぞおちのあたり。

上げて行ってというと肩から上がっていきがちですが、

体の中心からまず動き始めないと意味がないどころか、無駄な動きでかえって音楽の流れを阻害してしまうので。

腹式呼吸でたくさん息を吸い込むとぐっと開く部分があると思いますが、その辺がだいたい意識する場所です。

その重心を体の真ん中から上げていくと、その後ろにある肩甲骨のあたりの筋肉が反応して、

腕を持ち上げて行く。

自然な腕の動きが出来るわけです。

腕を持ち上げるのはひじの関節でも肩でもなくて、肩甲骨なんですよ。

その辺はテクニックにも関わってくる話なので、また後ほど。

重心の動かし方というのはもちろん上か下かというような単純なものではなくて、

少し前のめりとか、胸をしっかり開くとか、

しっかり音を出して重心も上に釣り上げながらも、緊張感も同時に作り出したいので胸元が開き切ってしまわないようにするとか、

いろんな要素があるわけです。

これらは体の一番奥の部分を動かしていく作業なので、

外から見ていてもあまり分からないかもしれません。

少しこれ見よがしにやってもいいし、

ほとんど動いてないように見えながらも体の内側だけ動かすようにやってもいいでしょう。

難しいけど。

もっと達人になると、実際何も動いてないけれど、感覚だけはそれを残して音楽はそういう方向に持っていくなんてことも出来るようになるでしょう。

こんな風に、クラシックにはかなり方法論があるわけですね。

この方法はもしかしたら僕独自のものなのかもしれないけれど。

でも、体の動かし方にしても、テクニックにしても、音楽の持っていきかた、分析の仕方、

クラシックにはいろいろと方法論があって、

それを全部会得していけばかなりの段階までは弾けるようになるはずです。

もちろん奥が深いのでそう簡単にいろんなことができるようになるはずはないですが。

でも、自分で一から今までになかったものを作り出さなくてはならないジャズとかポップスと比べて、

指標が見えやすい世界だとは思います。

それでもやっぱり、8割はそういう勉強で出来上がるとしても、

あとの2割はその人その人のイマジネーションです。

歴史に名前が残るような大巨匠は、往々にしてそのイマジネーションの量が半端じゃなくすごくて、

方法論なんて全部吹き飛ばすような変な説得力を持ってます。

いろんなこと考えて、自分でも研究して、人にも教え込んで、

その後でホロヴィッツを聞いてしまうと、いつもすべてがばからしく思えてしまうわけですが。

結局あんな音色と表情が出てしまえば、そんなことはもうどうでもいいじゃないか、と。

でも、そんなことが出来る人は世界で何十年に何人もいない次元の話ですからね。

そう、何が言いたかったというと、

方法論を全部吹っ飛ばしてしまうようなイマジネーションを持つことが必要、ということではなくて、

理論もイマジネーションもどっちもバランスよく持つことが大切だよ、ということです。

だいたいどっちかに偏るんですよね。

しっかりコツコツと取り組めるコは、音楽が小さくなってしまったりする。

すごい音楽性を持ってるコは、うまくまとめたり当たり前のことを当たり前にこなしたりするのが苦手だったりする。

まあそういう僕も偏ってはいるでしょうが。

しかし不思議なことに、

昔から感性のほうに極端に偏っていると思われていたし、自分でもそう思ってたわけなんですが、

レッスンすると驚くほど論理的になってしまうんですよね。

逆に、なんとなく大きなイメージを湧きあがらせるほうが得意じゃなかったりする。

まあそういうときは弾けばいいので、ものすごく困ってはないですが。

でもこれは、レッスンし出してからの発見ですね。

自分自身に対する。

だいたい昔から、音楽以外のことでは屁理屈をこねるようなタイプで、

やっぱりそういうところが出るんでしょうね。

音楽になると途端に論理的思考が飛んでしまうのも不思議ですが、

でも元がそんなだから、感性が爆発したものを無意識のうちに論理的にまとめてたんでしょうね。

だから、自分がやったことはだいたい後からなら説明できます。

どうしてそういう表情でそういう崩し方で弾いたか。

弾いてるその時は本能で弾いてるような感覚ですが。

さてさて、もう1時間近くブログを書いている。

ほとんど推敲も見直しもしてないですが。

しゃべったら15分くらいでしゃべれそうな内容なのになぁ。

やっぱりポッドキャストか!!

いよいよ。

おやすみなさいfullmoon(今日は満月~~☆)

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ショパンエチュード

ショパンエチュード。

ピアニストにとって永遠の課題です。

よくぞここまで難しいものが書けたなぁ、と感動するくらい。

単純にたくさん音がある難しさとか、たくさんオクターブがある難しさとかなら、

他の作曲家もいくらでも書いてますが、

こんな複雑な難しさが書けた作曲家はほかにいないんじゃないかなぁ。

簡単に思えるエチュードほど、突き詰めていくとものすごく難しかったりして。

とりあえずは問題なく弾けるんだけど、書かれているもの全てをちゃんと表現しようとするとものすごく細かくて繊細なテクニックとコントロールを要求されて、

しかも、それを全部ちゃんとやらないと音楽的にもその曲のキャラクターが出せないように作られていて、

つくづく天才なんだと思います。

その分、後世のピアニスト達はみんな苦しむわけですが。

そして、それだけの苦労をして弾けても、聞いてる人には難しさを全く分かってもらえなかったりする、というcoldsweats01

それにしても、ここまで突き詰めてテクニックの練習をするのは、ずいぶん久しぶりな気がするなぁ。

音楽的なことはたくさんたくさん考えてきたのですが、

テクニック的にはとりあえずいつも通り練習すれば弾けるようになってきていたので。

それでもやはり、ショパンエチュードは苦しむもんなんですね。

なんだか原点に戻った気分note

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