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倉敷音楽アカデミー

ゴールデンウィーク最後の土日は、倉敷音楽アカデミーの公開レッスンでした。常連の受講生も初めての人も楽しく聞かせてもらい、楽しく(厳しく?)レッスンをしました。だんだんこの公開レッスンの認知度も高まってきたのか、聴講の方もかなりたくさんいて嬉しい限りです。少しでも地元のレベルアップに寄与できればと思っています。
時期的にほぼみんなピティナの曲を持ってきていました。主要コンクール前はみんなその曲を持ってくるので、こちらも課題曲に詳しくなります。全く今まで知らなかったいい曲との出会いなんかもあって(たとえばイベールのおてんば娘)これはこれでなかなか楽しい。もちろん全部が全部名曲というわけにはいかないけれど、それはまあ仕方ないところでしょうね。一見いい曲に見えても名曲でないものはレッスンで突き詰めていくうちに底の浅さが見えたりほころびが生じたりするので面白いところです。逆に名曲は、どれだけこちらが研究し尽くした気がしてもさらにその先がある。それにしても今年は学生音コンも含めてあまりにも内容が難しい曲が入ってる気がするんですがどういう意図なんだろう。「子供だから子供らしく弾きなさい」とは全く思わないし、本人が好きで選ぶ曲だったらいいと思うんだけど、課題曲はもっとオーソドックスなもののほうがいいんじゃないのかなぁ。何か深い意図があるのかもしれませんが。
ところでこの土日は実は携帯ナシ生活でした。なんと新幹線の中に置き忘れてきたんです。乗り換えの駅で危うく寝過ごしそうになり、荷物をまとめて急いで降りたホームで携帯がないことに気づいた時には時すでに遅く、発車する新幹線の窓から運ばれていく携帯を見るあのなんとも言えない気持ち。諦観というのはああいう心持ちなのか。
いろんな連絡が取れないのはとても不便で、今も携帯がある安心感と喜びを噛みしめているところですが、練習や勉強は携帯がないほうが捗りますね。移動中なども、手が少しでも空くと携帯を開いてしまうこの習慣をなんとかしないといけない。目の前のたくさんの情報に目が行くことで失っているものがきっとある気がする。それは情報のせいでも携帯のせいでもなくて、自分がちゃんと考えて向き合えばいい話。
現代人の考え方が安易になっているという原因はネットでいつでも簡単に情報が手に入るからだ、という風潮、原因としては確かに間違いじゃないかもしれないけど、じゃあネットがなかった時代は良かった、というのはおかしいんじゃないかと思い。何かがないよりもあるほうが間違いなくいいわけで、その溢れる情報にどう向き合って行くかは個人の責任。
コンクールも似たようなものかもしれないですね。僕らが子供のころよりコンクール自体が増えて、そのための講座や解説なんかも簡単に見られるようになった。そりゃあ見ればいいですよ。手に入る情報は何でも手に入れればいい。コンクールも受けたいコンクールは受ければいい。いい賞も取ればいい。だけどその先に何があるのか、そして何が本当に音楽的なのか、というところを見失わないようにしないとね。
情報も音源も少なかった時代は一つ一つがもっと大事で、その同じものをみんなが求めてた。みんな名盤の解説本もあってみんながそのレコードを買いに走っていた。そしてその曲の世界最高の演奏はそのレコードであって、それ聞いたことのない人はまだ「最高」を知らない人だった。そしてその名盤以外は存在していても誰も知らなかった。だけど今は名盤っていう概念も薄くなってるんじゃないかな。いつでも手に入る。たくさん手に入る。その代わり玉石混淆。そこでいまいちなクオリティ演奏を「最高」だと信じて聞いてしまっていたとしてもそれは玉石混淆のYouTubeのせいじゃない。これだけ情報で溢れかえる時代だからこそ選ぶ自由がある。そして選ぶ能力が必要になる。可能性が無限にある面白い時代じゃないか。

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