« ACT音楽セミナー | トップページ | 良い演奏とは? »

演奏家の魅力について

24日の宇都宮でのリサイタルで久しぶりに弾くので、ショパンのマズルカOp.33-2をナクソスで片っ端から鑑賞。リストの中には自分の名前も出て来るけれど、自分の演奏聴いても勉強にはならないし、何年の前の演奏に反省しても仕方がないので、基本自分のCDは聞き返しません。
マズルカのリズムが得意そうなポーランド系のピアニストを何人か聞いた後で、きっと固いんだろうなとあまり期待はせずに、それでもやはり外せないとポリーニを聞いてみる。始まった瞬間、「格が違う!」。他のピアニストのよりも「マズルカ」としてどうなのかは分からない。ポリーニの癖だろうけれど、フレーズの途中で突然音が短くなって不自然な歌になったりする。それでいいのか?と思うような機械的な切り方もあったりする。でも格が違う。思えば、ホロヴィッツが自分にとって神様だった(いや、今もだな)芸大時代は、ポリーニは大嫌いなピアニストだった。友人とCDを聞きながら、「なぜこんなメロディを歌わずに弾けるのか」などと憤慨していかにポリーニが良くないかを語っていたものだ。しかし、なぜかCDは何枚もあった。そしてその後も、ことあるごとにポリーニを聞いていた自分に気づいた。
同じようなピアニストに、リヒテル、グールドなどがいる。何がいいのか全然分からない、と思いながら気がつけば何度も聞いている。
その逆もある。とてもいいと思うけど、特に聞き返したいとは思わない。
何が違うんだろうか。何が違うかと考えると、きっと魅力が違う。音の求心力が違う。完成度が違う。結局のところ音楽家としての格が違うとしか言いようがない。正しい音楽語法、正しいスタイル、正しいテクニック、そんなものはいとも簡単に吹き飛ばしてしまうほどの格の違い。もちろん本人たちはそこから逸脱した音楽をやろうとしているわけではなくて、それが心の底から湧き出たものだからそうしているだけ。
クラシック音楽のように長年かけて積み重ねられてきたジャンルの場合、良い演奏と言うのはどういうものなのか、と言うのはかなりのところまで分析ができるのだと思う。しかし最後の最後に出てくるその部分は分析するのがとても難しくて、哲学にも近いような領域になってくるのだと思う。そしてそのほんの少しの違いは、音楽家としては天と地ほどの違いになってしまう。
自分も演奏家の端くれとして、常に自分自身に戒めを持って追求し続けなければいけない。テクニックの事や構造、フレージング、和声などを考えるのは当然のことであって、むしろスタートラインと言ってもいいかもしれない。そういうことがたくさん分かっていたらいい音楽が出来るわけではないし、いろんな知識があって最終的に演奏はいまいちなほどカッコ悪いことはない。(それに自分で気づけなければさらに惨めな感じになるが…)。
演奏会もだけれど、演奏家として講座をするというのは意外とハードルが高い。いろいろな説明をして、そしてやはり演奏家なのでポロっと弾いてみる。その演奏に魅力がなければ、例えその前に説明したことはキチンとしていても全てなかったのと同じことになってしまう。じゃあ弾けなければいいのか、というとそれなら研究者の方がしゃべったほうがはるかに知識も豊富だし読み込みも深い。結局のところ演奏家は心に届く音を出すしか道はないのだ。
さーて、また自分でハードル上げちゃったぞ(笑)。秋はまだまだ本番続きなので、頑張らないと。とりあえず仕上がった、なんて演奏には絶対にしてはならないけど、とりあえず仕上げないと何も始まらない(笑)。

|

« ACT音楽セミナー | トップページ | 良い演奏とは? »

音楽」カテゴリの記事

コメント

演奏家と演奏の間に距離感があって、自分が指揮者になって手や指が演奏者になってるのは、聞く方も楽しいです。

投稿: T2 | 2016年10月 4日 (火) 11時11分

文学も同じだと思いますが、
受け手は、「作品がその人(演奏家)の人生にどう関わっているのか?」を感じたいのだろう、と思います。
だからリヒテルやグールドは魅力があるのかな、なんて思ったりします。

投稿: T | 2016年10月 4日 (火) 09時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/513406/64234929

この記事へのトラックバック一覧です: 演奏家の魅力について:

« ACT音楽セミナー | トップページ | 良い演奏とは? »