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ショパンエチュード解説

東京での2年ぶりのショパンエチュード全曲コンサートも、2日後に迫ってきました。コンサート中のトークではいつも語っている事なのですが、Op.25は自分なりの物語を感じながら演奏していて、せっかくなのでここに書き記しておこうと思います。テクニックを説明したものはたくさんありますし、1曲1曲のキャラクターについて書かれたものもありますが、全体の流れについて書かれたものはあまり見かけないように感じます。

Op.25の核となる1曲は、もっとも地味に見える7番のエチュード。いまいち何のための練習なのかもわからないこの曲を12曲のちょうど真ん中に持ってきたことには大きな意味がある。
そして最後を締めくくる12番「大洋」にも7番と変わらず大事な役割がある。まだよくわかっていない頃はこの曲の存在が全く理解できず、「なぜかっこいい木枯らしで終わらずにその後に付け足しのような大洋を書いたのだろう。これはショパンのミスなのではないだろういたのだろう。これはショパンのミスなのではないだろうか。」なんて本気で考えたものだが、とある本番で必死にエチュード全曲を弾いて大洋の最後に差し掛かったところで、大海原の向こうに日が昇るのが見えたのだ。全てがつながった。この物語は孤独とその向こうに見えた光なのだ。
では順番に説明しよう。
1番エオリアンハープ。舞台は草原か。主人公のもとに柔らかな風が吹く。愛する人はすぐそばにはいないかもしれないけれど、いつも自分を待っていてくれる。世界はこんなにも幸せに満ちている。
2番。そこに一抹の不安がよぎる。もしかしたらすべて幻覚なのではないか。
3番。いや、そんなはずはない。世界はこんなにも喜びに満ちている。自分はこんなにもエネルギーに溢れている。今にも飛び上がらんばかりだ。2回も転調して確認してみたけれど、毎回喜びしか湧いてこない。裏拍にsfまでついて、宙にも飛び上がらんばかりだ。
4番。しかし、拭いきれなかった不安は恐怖となって追いかけてくる。目には見えないけれど、常に同じ歩みで一瞬たりともブレることなく近づいてくる。逃れようと手を伸ばしても、虚しく空を切るだけ。
5番。ふと見上げると、幸せに羽が生えてひらひらと飛んで行くのが見える。それは悲しい鳥となり、幸せだったときの思い出までも、美しい旋律に乗せて運んでいく。そして、から降り注ぐまばゆい光に包まれる。
6番。しかし現実は何も変わらず、相変わらず絶望的な孤独感だけが残っている。もはや幸せを思い返す力さえなく、最後にほんの少しの希望を求める。
7番。左手の旋律が孤独な今の状況を諭すように伝え、それを受けて長大な嘆きのアリアが始まる。いかに自分が孤独なの切々と訴えかけ、幻想も消え希望もついえ、ため息とともに失意に沈んでゆく。
8番。ああ、ここはどこだろう。見たこともないような美しい場所だ。苦しみも悲しみもそこには存在しない。と、現実逃避が始まる。
9番「蝶々」。そこには妖精も飛んでいる。この世の重力などに縛られることなく、自由自在に飛び回り、フッと空中に消える。
10番。妖精の消えた先に待っていたのは、耐え切れないほどの苦しみの現実。鋭く、しかも思いその苦しみは心を押しつぶさんばかりの重圧感を持って、洪水のように押し寄せる。あきらめの中寂しく微笑みながら孤独を歌い、「神よ」と3回呼びかけても答えは返ってこない。そしてさらに激しい苦しみが押し寄せる。
11番「木枯らし」。洪水の後には嵐が襲ってくる。
12番「大洋」。苦しみは尽きることなく、さらに大きな波となって押し寄せてくる。しかし先ほどまでとは違い、時折天からの啓示が聞こえてくる。そして、長い長い夜を経て最後にようやく海の向こうに陽が昇るのが見えるのだ。

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