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2013年8月22日 (木)

タンホイザー序曲~トランスクリプションを弾くということ

今度はトスカニーニのタンホイザー序曲を聞きながら、広島まで日帰りレッスン。あ、岡山からね。東京から日帰りはさすがに死にます。
トランスクリプションのものをやる時にいつも思うことなんですが、いくら頑張って練習したら、いくらすごいピアニストと録音聞いたりしても、オケを聞くと全部吹っ飛んじゃう。どれだけピアノで頑張っても、そりゃあオケの表現力には叶わないわけだもんね。しかももともとはオケの曲なわけだし。
オケの音をそのままピアノに当てはめただけではつまらない編曲にしかならないから、リストのものは絶妙にピアノっぽく書かれてるけど、それでもやはり吹っ飛ぶ。
そうなるとトランスクリプションを弾く意義って何なんだろう。
一つには間違いなく弾く本人が楽しいというのがあると思う。オケで聞いたあの曲の世界を自分一人で表現できる。うむ、自己満足だ(笑)
次に、聞いてる人の視点からすると、「あのオケの曲をピアノでこんなふうに弾くことができるのかぁ」と感心して感動することが出来ること。ただ、これって元の曲を知らなくても初めて聞いたピアノの名曲と同じように感動出来るのか、というのは疑問。
それも分かりやすい超絶技巧ならまだしも、タンホイザーのような"これぞオーケストラ"という曲を、頑張ってオケの響きの分厚さの3分の1くらいまで表現しました、という演奏をしても果たして意味があるのかどうか。
ピアノという楽器には、間違いなくオケには出せない世界観があると思う。そもそも一人で弾くことの出来る楽器なので、どこまでも自分自身と対話をすることが出来る。そこから生まれた極限までパーソナルな表現をする、というのがピアノを演奏し、またそれを聞く醍醐味だと思う。
その要素を、元がオケの曲であるトランスクリプションで出すことが出来るのか。
いや、待てよ、ベートーヴェンもブラームスも、ピアノだからこういう感情を表して、オケの時にはこんな気持ちで書いた、と分けていたわけじゃないじゃないか。
当然違う部分はあるけれど、根底に流れるものは同じはず。
それと同じと思えばいいんじゃないか!
トランスクリプションはオケそのものには及ばないゲテモノ、という意識が自分の中にもどこかで残っているのかも。
あとはやっぱり、この疑問の出どころは、いろんな録音を聞いて釈然としない気持ちになっているのが大きな原因なんだろうなぁ。
リストのピアノ曲を弾くように一生懸命全部の音を並べても何も意味がないわけですよ。
リストはピアノの効果を知り尽くした上で書いてるから、そのまま頑張って弾けば結構映えるように作ってある。
その同じ人がピアノの効果を最大限に使って作ったトランスクリプションは、同じではない。
そこに息づいているのはワーグナーの精神なわけだから。
そのワーグナーの世界を聞き、何とかしてこの感動をたくさんの人に伝えたい、と思って編曲したはず。
(っていうようなことが出来る自分スゴイだろう、という要素もあるけれど)
だからやはり、正解はオケそのもののように弾く、ということなのかなぁ。
答えがないまま書き始めたのに、何となく答えが出てしまった^^;
もちろんそれは気の遠くなるほど遠い道程だろうけど、やってみる価値はあるな。

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コメント

オケで聴くより、松本さんのピアノソロで聴いたほうが、わたしにとってはおもしろかったですよ~
「タンホイザー序曲」、も~、グワーッときましたよ!!(←すみませんボキャブラリーが追いつきません・・・;)
それにしても、8月のスケジュール、移動だけでも大変なことになってるのに、毎回違うプログラムで、そのたびにお客さんを熱狂させるすばらしい演奏・・・超人

楽しみです♪

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