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一流の一流たるゆえん

さて、続きです。

別にシリーズにしたかったわけではないんですが、書いてるうちにどんどん長くなってきたので分けてみました。

リヒテルを聞きながら、やはりこの人は巨匠だなぁ感嘆すると同時に、

そういう人の演奏は何が違うのだろうとつらつらと考えていました。

ホロヴィッツしかり、コルトーもアルゲリッチもグールドもポリーニも、

ちょっと昔だとルービンシュタイン、ケンプ、バックハウスも、

名前のずっと残っている人たちの演奏には一味違うところがありますよね。

その逆に、テクニック的にも音楽的にも全てを兼ね備えてるのにいまいち魅力を感じない演奏家もいます。

何が違うんだろう。

こういうことは、もちろん自分が演奏する時にたくさん考えるのは当然なんですが、

レッスンをしていてもよく悩むところです。

こういう一流を超えた超一流の人の演奏に触れると、

例え好きではなくとも、例え理解ができなくても、

ふとした瞬間に無性にまた聞きたくなるんですよね。

僕にとってはまさにリヒテルがそう。

何故あんなに閉ざした心で弾くのか、何を語りかけたいのか全く理解ができないことが多い。

でも、無性に聞きたくなる。

それはきっと、僕自身の感性や好みをはるかに超越したところにいるからなんでしょうね。

グールドやポリーニもそう。

ラフマニノフのコンチェルトに関していえば、ゾルタン・コチシュもそうですね。

速い。とにかく速い。

どんな難しいフレーズも涼しい顔で弾き切って、特に凄まじい迫力を出すわけでもない。

でもなんだか聞きたくなるんですよね。

そういう分析のできない意味の分からない魅力って一体何なんだろう。

突き詰めると結局その人の人間としての魅力だと思うんですよね。

よく言われることではありますが。

すごい超一流の演奏に触れ、

自分で演奏する時にも悩み、

また生徒たちをどうやって引き上げていくか真剣に考えているうちに、

本当に実感を持って感じるようになったことです。

ピアノを弾くという作業はしゃべるのと同じ。

僕たちが当然のように日本語をしゃべれるのと同じように、

ピアニストにとってうまく弾けることは当たり前なんです。

きっと。

それは単なる道具であって、その道具を使って表現したい世界観にはその人とのものが出るのでしょう。

全く同じ内容、同じように言葉を言っても、言う人によって全く印象が変わるのと同じですね。

ルドルフ・ブッフビンダーは「ピアノを練習すると同じくらいの時間を本を読んだり美術館に行ったりすることに割いています。内面が豊かにならないと豊かな音楽もできないから。」と言っていました。

ブラームスやベートーヴェン同じようなことを言ってますね。

ここで大事なのは、何が自分を一番豊かにしてくれるか、ということを知ることですね。

彼らにとっては本を読むことが豊かになる道筋だったのでしょう。

でも、宿題のように本を読んでも全く意味がない。

ある人にとってはたくさんのひとに会うことが自分を豊かにする方法かもしれないしl

ある人にとっては家に閉じこもることかもしれない。

ある人にとっては大自然の新鮮な空気を吸うことかもしれないし、

またある人にとっては夜の街に繰り出すことかもしれない。

ある人はその結果人格者のようになるかもしれないし、

ある人は気難しい困った人になるかもしれない。

結局大事なのは感受性を豊かにして、あるがままの自分を受け入れ、そしてそれを出すということなのかな。

んーー、もっともっとたくさんのことを考えていたはずなのに、

文章にすると薄っぺらくなるなぁ。

説明しようとすればするほど限定的な世界になってしまう気がします。

これは僕の文章力の限界。

少なくとも今の時点では。

あとは音で表現!


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