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« 音の玉手箱Ⅵ in さいたま | トップページ | ショパンとの対峙 »

2012年1月11日 (水)

究極の選択

人生の浮き沈みは全て音に出るもの。

ブラームスのように最後は淋しさと諦めの境地に至った人でも、それすら美しいのが芸術。

淋しくて、苦しくて、そんな中這うようにピアノに向かって出した一音が涙がこぼれるほど美しかったら、

それだけでいいと思える。

いい音を出すためなら、別に今死んでもいいかな、と思える。

でも、苦しい中音を出すのではなく、

音を出すこと自体が苦しくて、

今すぐピアノから逃げ出したくて、

そしてそんな時に出した音が一番美しい音だとしたら、

あなたはそれでもそこでピアノを奏で続けますか?

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コメント

まつ本先生へ

教えてくれてありがとうございました。

なぜ聞いたかというと
もしかしたら先生も
小さいころに思うようにひけなくて
イヤになっちゃって
もう、やりたくなーいっ!と思ったけれど
でも、がんばってみたらできて
うれしくてしょうがない時があったのかな?と思って
聞いてみました。

わたしは、思うようにできなくて
ぷんぷんすることがおおいのです。

でも、できた時は
ピアノ大好きー!と思うのです。


ガルゥさん
小さい頃は何もややこしいことや難しいことは考えず、そんなに悩むこともなく、とにかく楽しく音楽をしてましたよ。
最近ふと考えただけです

難しいな、まるで死神に魂を売ってしまうかのような話!

もし自分がピアニストだったらそんな極限の音を奏でたいだろうと思う。
もし自分がピアニストの恋人だったら、そんな音は奏でて欲しくないと思う。
でも、ピアニストはピアニストの恋人の恋人だから、恋人がやめて欲しいと思うならやめるだろうと思う。

しかし、それは、その「極限の状態で極限の音が生まれる」と言う仮定の上での話。

実際には、どうだったのだろう。
例えば文学の畑なら、自ら命を絶ってしまった芸術家を何人も挙げられるけれど、その人達の文学は、その最後の瞬間に、本当に昇華したのだろうか。

なんて、考えるときりがないですね!

松本さん、こんばんは^^
今日のカルチャーセンターの講座もすごく充実した内容で、来週のリサイタルがますます楽しみになりましたし、今後自分でショパンを練習するときのヒントがたくさんもらえた気がします。
1時間半以上、ノンストップの怒涛の演奏と解説、ありがとうございました

・・・と書こう思って開いたら「究極の選択」・・・
幸せで、健康で、長生きして、美しい音でずっとピアノを弾き続ける、というのがいいなぁ~・・・って、全然選択になってない??


しつもんです。

まつ本先生は小さいころ
そういうことがあったのですか?

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