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人間性のお話

名教師は、生徒の欠点には目をつむり、長所だけを伸ばすという。

しかし、かの名教師、そして大ピアニストのアルフレッド・コルトーは、

生徒の欠点までも長所に変えてしまったという。

いや~~、出来ないなぁ。

いったいどういうこっちゃ・・・・

さすがに、5日間のフェスティバル、その前も2日間ほど個人レッスン、

計7日もレッスンに勤しんでいると、

教えるということについてたくさん考えます。

一番簡単なレッスンはたぶん、

「ダメだなぁ。」と思ったところを「ダメ。」という。

「そこがダメ、あそこもダメ、」

挙句の果てに、

「だから君はダメなんだ。」

もしくは、とにかく一から十まで教え込む。

「ここはこう弾いてここはこういうふうにして、

この音はちょっと短く、ここから少しだけクレッシェンドして。」

もしくは、とにかく弾いてみせる。

「はい、こんな風に弾いて。」

おしまい。

この辺のことは、ほぼ機械作業にも等しいような作業です。

もちろん根底に音楽の知識とか弾く技量は必要ですが、

それがあれば、レッスンのその場では何も考えずに出来る。

でも、人を伸ばすというのはそう簡単なものでもなくて、

じゃあそこからさらに突っ込んで考えたときにどうすればいいかなぁ、と考え始めると、

五里霧中になるわけです。

それでも、ひとつだけ確かなことがあって、

それは、演奏には必ずその人の人間性が表れるということ。

演奏を聞いて、レッスン中のしぐさや受け答えや、それから目を見れば、

そのコの性格、生活環境、人生、親の接し方、などなどだいたいわかるものです。

やっぱり全部音に出てきますから。

で、たぶんですが、

この人間性の出方というのにもレベルに応じて3段階くらいあって、

まずはそのまま性格とかが音に出てしまう段階。

そして、そこからだいぶうまくなってくると(ここのステップは相当高いものなんですが)、

ストレートにそれを全部出してしまうことなく、コントロールして出しながら自分自身を相手に悟らせないように演技をする音が出せるようになる。

それによって、自分とは決定的に性格の違う作曲家とかも弾けるようになるわけですね。

ここまでいけたら大したものだ。

音楽の世界で十分食っていけます。

そしてその次の段階。

そんなスキルを最大限に使って、心の奥底の暗い淵ギリギリを歩くような、本当の意味で突っ込んだ音楽ができるようになると、

本当に自分の心の限界を引き出せるようになるがゆえに、最後はやはり人間性が出てくる。

ここまで来たら、大芸術家の世界です。

と、まあ、こんな段階を踏むんではないか、と思うわけです。

で、ここまでに何回「人間性」という言葉を使ったかわからないほど使ってますが、

そもそもそれは、「いい人間になれ」ということとは違うんですよね。

よく世間では情操教育ということが言われますが、

音楽をたくさん聞くといい人間になる、なんてことは全く信じられない話です。

周りの音楽家を見てればわかります。

変な人ばかりです(笑)。

小説家しかり、画家しかり。

ただ言えるのは、何もしないのに比べて心に直接訴えかける刺激を得ることが出来るので、

筋肉を鍛えればたくさん筋肉を動かすことができるようになるのと同じように、

心をたくさん動かすことが出来る人間になれる、ということじゃないかな。

何があっても何も感じることのできない人は、冷たい心でどんなひどいことも平気で出来てしまうのかもしれません。

そこで、少し心を動かすことが出来れば、心に痛みを感じて思いとどまるかもしれない。

でもこれは諸刃の剣で、心が動きすぎると自分の中でもう制御ができなくなって、

心が壊れてしまうかもしれないし、人の心を壊してしまうほうに向いてしまうかもしれないし。

絶妙なバランスを保つ、というのは誰にとっても難しいものです。

そんな中にあって、芸術家という職業の立ち位置としては、

心が壊れてしまうギリギリの淵に立って深みを覗き込む、というあたりじゃないでしょうか。

医療は、傷ついた身体の救済、

芸術は、傷ついた魂の救済。

そのためには、自分自身がちょっとしたことにも心のアンテナを働かせて、プラスにもマイナスにも振れ動き、

そしてそんな自分の心の中を深く覗きこんで必要な時に必要な心の傷を引っ張り出せることが必要になります。

そんな風にして日々生きているので、芸術家には変な人が多いんじゃないかな(笑)。

ある人が、

「春は心が開放に向かう季節なので、逆に閉じていく作業をしないといけない。

そのようにして、いつでもバランスの取れた平静の状態を保つのです。」

というようなことを言っていたそうなのですが、

確かに普通の生活をしていればそれに越したことはないでしょう。

でも、僕ら芸術家はそれをしてしまったらダメだと思うんですよね。

あえて、自分の心をさらけ出して傷を受けることをしないと。

そんな風にして、世間の思うところの理想的な人間像ではなく、

本当の意味でのその人その人の人間性というものが出来上がっていくのでしょう。

それは、一見欠点にしか見えないようなものもたくさんあるかもしれない。

でも、うまく持っていけば最高の長所にもなりうるものかもしれません。

引っ込み事案な人であれば、逆に自分の内へと掘り進んでいくような音楽ができるかもしれない。

自分自身に対してさえも自分を偽ってしまう人だったら、大きな感情の流れを一から作り出して輝かしい音楽が出来るかもしれない。

周りが見えてない人だったら、ひたすら没頭する深い音楽が出来るかもしれない。

ちょっとしたことに傷ついてうじうじする人だったら、優しさのにじみ出るような音楽が出来るかもしれない。

結局最後はその人の人間が出てくるんです。

それをどんなふうに自覚してどういう風に出すか、それによって美しい音楽にもなり、うまいことまとまらない音楽にもなります。

そこに向かって導くのが教えるものの役目でしょう。

どんな個性でも、一言のもとに否定しない。

そして、心と心で向き合う。

それによって、自ずとそれぞれの生徒の向うべき方向が見えてくるはずです。

・・・・・

いやぁ、自らハードルを死ぬほど高く上げてしまったcat

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コメント

松本さん、またまた素敵な話をありがとうございました。音楽家でなくても通じる話だと思って何度も読み返しました。自分の心と日々向き合うことは半端でなく辛いと思うのですが……それが出来るからこそ、他人の心とも触れ合えるのかなぁ~confidentだから松本さんの音楽だけでなく文章からも癒されるのだと思いましたconfident
今日の話も永久保存版です~note

投稿: MIKI | 2009年5月11日 (月) 18時15分

 どんな厳しさの中にも「優しさ」と言う単純な言葉だけでは表現出来ない温かさをいつも松本さんの音楽に、そして人間に感じます。
 傷つける事や傷つく事で苦しみや悲しみを抱え、一見、負のエネルギーに思える様な感情や想いもその人を造り上げる血となり肉となるのだと改めてこの頃思います。
 心と心を向き合わせてのレッスン
 水面に落ちる一滴の様に子供の心、そして大人の心に伝わって行くものだと確信しています

投稿: 商店街までの走り屋 | 2009年5月11日 (月) 14時34分

とても深いお話で、しみじみしました。
ありがとうございました。

投稿: auario | 2009年5月 9日 (土) 23時43分

いいお話ありがとうございます。

昨日読んだコミックの「おくりびと」に、「音楽家は仕事じゃない、生き方なんだ・・・」というくだりがありました。音楽は仕事でもなんでもない私ですけど、「あえて、自分の心をさらけ出して傷を受ける」ということは、いくつになっても忘れずにいたいと思っています。

投稿: いぞるで | 2009年5月 9日 (土) 18時49分

ハードル高いです。
ぼくは変なひとではありません。
検索キーワードが気になります笑

投稿: もり君 | 2009年5月 9日 (土) 18時30分

松本さん、人間性に対する深い考察ありがとうございます
そうですね、芸術家は皆さんエベレストを独り登るような、もしくは宇宙の底を独り覗きこむような、ギリギリの淵を歩んでいらっしゃるのだと思います。
そして真の芸術は魂の深部に光を送るものだと思います。
生半可なものでは、心の深部から深部には届かないと思います。
松本さんのピアノの音が他の人と違う理由が分かったような…
松本さんの音色聴くと、本当に癒されるんです。ちょっと言葉ではうまく表現できないのですが…

投稿: 眠り猫2 | 2009年5月 9日 (土) 13時56分

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