新宿の朝日カルチャースクールで、評論家の真嶋雄大さんと一緒に「ベートーヴェンらしさとは何か」という講座を開いてきました
いやぁ、カルチャースクールってすごいんですねぇ。
僕らのやった教室は音楽関係専門なのかな。
教室の前に置いてあるチラシを見ても、そうそうたる方々がたくさんの講座を開いている。
真嶋さんも引き続き、「ショパンらしさ」「シューマンらしさ」「モーツァルトらしさ」などシリーズで開かれるようだし、
名指揮者の系譜、とか
カルロス・クライバー~指揮者の見方、とか
なんか面白そうなのがたくさんある。
今日も、他の教室の予定を見ていると、「ヒトラーとニーチェ」とか。
知的好奇心をくすぐられるようなものがたくさん。
そうかぁ、こういうところでいろいろ勉強するって手もあるのね
って、受講者気分になってる場合じゃなくて、今日は演奏者なんでした。
ここ数日、久しぶりにヨアヒム・カイザー(ドイツの有名な評論家)の「ベートーヴェン32のソナタとその解釈」を引っ張り出して読んでたんですが、
そこに載っているいろんな演奏家の名前を見るにつけ、やっぱり聴きたくなって、
バックハウスから、ゲルバーから、
グルダ、フィッシャー、アラウ、ホロヴィッツ、シュナーベル、バレンボイムなど、
ながら聴きや一部だけ聴いたのも含めて、とにかく聴き倒して、
そうすると「こういう表現の仕方もあったか~~」と手本に出来るところもたくさんある反面、
逆に自分のやりたいことがはっきりするようなところもあって、
やっぱり自分はいろんな演奏家の演奏を聞くことでたくさんのものを得るタイプなんだなぁと再確認。
そして、単純にリスナーとしては、やっぱりバックハウスとゲルバーが好きだなぁということも再確認。
あ、ホロヴィッツは僕にとって神のような存在ですが、熱情に関してだけはちょっと違うかなぁ
いや、いいんですよ、ホロヴィッツは別にベートーヴェンの緊張感を生み出すことが出来なくても。
ロマン派の曲であんな誰にも真似の出来ない音色と世界を作ってくれるだけで、
もうそれだけで満足というか、
それ以上のものは求めようがありません。
ベートーヴェンに関してはそうではないけど、
他の作曲家の場合は、
いろんな人の演奏聴いて、何が正しいんだろうとかたくさん考えて、
そんな時にホロヴィッツの演奏を聴いてしまうと、
それまでいろいろ考えてきたことが全部無に帰するような感覚になることがよくあります。
決して手本に出来るような音楽の運び方や歌いまわしではないけど、
これほどまでに魅力的な音楽をつむぎだせる人が他にいるだろうか。
しっかり練習して、勉強して、コントロールして、冷静に判断して、
いい音楽をすることはもちろん大切だけれど、
結局最後はやっぱり有無を言わせぬ説得力や魅力を持った人の勝ちですよ。
正しいとか、良いとか、そういう次元をもう一歩突き抜けた演奏をしたもの勝ち。
例えば、先生として教えるということを長年やっていると、
そういう部分が見えなくなってくるのかもしれない。
やっぱり教育者としては、正しい、もっともらしいことを言わないといけないわけで、
「間違ったことをしてもいいから、とにかく魅力的な演奏をしろ」なんてことはなかなか言えないわけで、
またそんなことを言ったところでそれを実際実行できる生徒なんてそうそういるわけではないわけで、
当然の流れとしてそうなってくるわけなんですね。
きっと。
また、演奏者のメンタリティと教育者のそれとはずいぶん違ったものであって、
演奏者というのは、
今日の自分を否定して、今まで培ってきたものを一旦全部崩して、さらにいい音楽をしようということが必要とされるわけですが、
教育者は、
人に何かを言う以上は、その考えに自信や確信を持っていないと誰もついてこないわけだから、
今日の自分も過去の自分も、たとえ自分の中に疑問があったとしても、とりあえず肯定することから始まるんだと思うんですよね。
極論ですが。
もちろん。教育者も迷うし、
演奏者も自信過剰にもなりますが。
でも、無意識の中で、そういう流れというのが自分の気持ちの中にきっと芽生えて、
だから、教育者メインの演奏家というのは、どこか上から目線の、
非常に正しいんだけど、どこか魅力に乏しい演奏をすることが良くある。
怖いところですねぇ。
自分の中では、テクニックも、音楽的な知識や技量も、全て上がってきて昔よりいろんなことが自由自在に出来るような気がしていながら、
聴く人にとっては魅力が減っている、というのは。
そうなってはいけない。
そういう意味でも、
ホロヴィッツのような「突き抜けた」演奏をする巨匠を聴くのは、すごく大事なことだと思うわけです。
おぉ、ずいぶん話が逸れたけど戻ってこれた(笑)。
というわけで、今回いろんな演奏家の演奏を久しぶりに聞いたのはすごく楽しくて、
ためになって、
バックハウスあたりから若干影響も受けて、
さらに僕の熱情も進化したような気がします。
特に、今回は1楽章を丹念に練り直したので(と言っても、ほんの数日の作業ですが・・・)、
今までは僕の中で第3楽章に集中するところが大きかったのですが、
第1楽章でもいろんなものを表現することが出来たかな、と。
しかし、この曲はあまりにも完璧で、
水の漏れる隙間もないくらいに作りこまれていて、
演奏家は、なんとかその完璧性に近づこうともがいているだけのようなきもしますねぇ。
ベートーヴェンってつくづく偉大な作曲家です。
熱情以外の曲もたくさんやらなきゃ。
来週金曜には、小田珈琲館で、悲愴も弾きますよ
意外と、人が思っているほど僕はベートーヴェンのソナタをたくさん弾いてないので、
早くたくさん勉強して、そのうち全曲演奏会とかやってみたいですねぇ
さて、変に長くなった。
そろそろ寝るとしましょう
オヤスミナサイ
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