明日はシャコンヌーー
やればやるほどすごい曲だなぁ。
そして、そんな偉大な曲をここまで自分流にアレンジしてしまったブゾーニもすごい。
ブゾーニが校訂したバッハの平均律クラヴィーア曲集の楽譜があって、
だいたい今の時代はヘンレ版にしてもベーレンライター版にしても、余計なことは書き加えずにもともと書いてあったであろうことだけを記す、という原典主義に基づいた楽譜になっていて、当然のように強弱もアーティキュレーションも書いてないんですが、
そのブゾーニ版は”これでもか!”というくらい、
そこここに「ここはp(ピアノ)で弾け」とか、「ここからここに向けてクレッシェンドしていって、ここでリタルダンドして」とか、「ここはレガートで、この音はスタッカートで」とか、
とにかく懇切丁寧に書かれています。
確か。(←手元にないので定かでない・・・)
今では聞くことのないような大げさな歌いまわしや盛り上げ方だらけで、ある意味興味深いけれどそのままやってしまうといつの時代の音楽かわからなくなってしまうような感じです。
でも当時はそういうロマン派っぽい弾き方が主流だったんですねぇ。
そんな彼が編曲したシャコンヌだから、当然のようにヴァイオリンの楽譜をそのままピアノに移したりするはずがない。
強弱も速度記号も書き入れて、
和音は分厚くして、ヴァイオリンなので単旋律だから、それに見合うようなバスや対旋律やオブリガードを自由自在につけて、ピアノという楽器の可能性を出来る限り引き出すような編曲になっています。
ここまで来ると、バッハの曲でありながらもう完全に別物だ。
それでも、バッハがすごいのかブゾーニがすごいのか、バッハの持つ荘厳さや神聖さは全く失われていない。
ここまで好き勝手やってる編曲でゲテモノ扱いされてないのは、この曲くらいじゃないでしょうか。
だから、演奏する側も「とりあえず派手派手ゴテゴテにしました!」という風に聞こえるようには弾いてはいけない。
でも、派手にはなっているわけだからそれもまたちゃんと生かさないとせっかくの編曲の意味がない。
じゃなかったら、原曲を忠実に再現したブラームス版のほうを弾いたほうがいいわけだから。
そういう意味では、意外といろんな要素が必要とされる曲なのかもしれません。
まあ、弾きながらそんなことをいろいろと考えているわけではないですが
そうだ、クライストチャーチの大聖堂を思い出しながら弾こう
さてさて、明日は昼本番だから早く寝ないと
オヤスミナサイ
P.S.みんとさんおめでとうございます
P.S.2 なんで北叟が出るんだっΣ( ̄ロ ̄lll)。そのサイトはコピペさせてくれないサイトだったのだ。それにしてもなんで出るんだ・・・
P.S.3 減七和音というちょっとマニアックな話題に食いついてくれる人がいてくれて嬉しい
P.S.4 ぴーんち、ぱーんち、ぽーんちって全国共通じゃないのかっ
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