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小田珈琲コンサート、そして「果たして何もしなくても自然と音楽は鳴ってくれるのかどうか」の考察

今日は小田珈琲館でのコンサート。

しばらく時差ボケでちょうど夜がつらかったのですが、ようやく調子が出てきた感じです

今日のコンサートは珍しくずいぶんと冷静でした。

今まで弾いてきた曲が多かったからかな。

燃えなかったという意味ではなくて、自分のやるべき表現、そして今出している音が、遠くから全部手に取るように分かるような不思議な感覚でした。

どこかにもう一人の自分がいて、「ここでもうちょっとこういう表情出したらいい」とか、「まだ盛り上げるのは我慢しといてもうちょっとこのままでいこうか」とか、リアルタイムでアドバイスをしてくれているような感じ。

だから、自分でも思いもしかったような表情が出てくる出てくる。

すごく楽しみながら弾いてました

いつも弾いてる小田珈琲に帰ってきたという安心感もあったのかもしれませんね

月光も、こんなに素晴らしい曲だったんだ、というのを初めて自分でも理解出来たくらい、いい感じに弾けました。

冷静だったからこそ燃え上がれたというのも、面白いものですね



さてさて、昨日本当はアップするはずだった長い日記、3度目の正直で今回こそは出しますよ


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9月26日の青陵高校でのコンサートへの感想が、生徒たちから届きました

嬉しいねぇ

音楽に関わる一部のコ達だけですが、みんないろんなことを感じてくれたんだなぁ、というのが分かって良かった

中でも、きっとなかなか理解するのは難しいだろうな、と思っていた武満徹の雨の樹素描が、意外にも半分くらいのコが良かったと書いててくれて、”さすが青陵生”と思いましたね(笑)。

さて、その手紙の中に一つ、結構いい質問があったので、ここでそれに対して僕の考えを書きたいと思います。

質問はこんな感じ。

”私は「作品に対する情熱が感じられない」とよく言われます。

決して情熱がないわけではなく、以前は、「自分はこう弾きたい」という思いを持って弾いていたのですが、意識が変わったのは、小学生のときに見たルービンシュタインの映像がきっかけでした。

そのときから私は、作品を演奏する上で最終的には、「何もしなくても自然と音楽が鳴ってくれるのが理想だ」と思って今までやってきました。

その結果、「情熱が感じられない」と思うことが多いんです。

でも、特にバロックや古典の曲を弾く時は「こう弾きたい」という思いが音楽の本質を損ねてしまうのではないかと、戸惑ってしまいます。

どう作品と向き合っていくべきなのでしょうか?”

ん~~・・・・

いい質問だっっ

とりあえず何はともあれ、小学生にしてルービンシュタインの映像を見て影響されてしまうというその感受性の豊かさに脱帽。

確かに、ルービンシュタインの演奏って、何にも余計なことはせずにただ音を鳴らすとそれが音楽になっている、というような印象をすごく受けると思います。

僕はむしろ、ホロヴィッツのように、出来ることを極限までやりつくしたような演奏に影響を受けたほうなので、ルービンシュタインは生ぬるいような気がして昔は正直好きになれませんでした。

なぜそこまで何もしないのか、と。

でも最近、聞けば聞くほどその懐の深い大きな音楽性が感じられて、どんどん好きになっています。

では、果たしてルービンシュタインが本当に「何もしていない」のかどうか。

彼女は、「何もしなくても自然と音楽が鳴ってくれるのが理想だ」と書いていますが、

もしそういう音楽を目指すのであれば、

僕は、「何もしなくても自然と音楽が鳴っているように聞こえるのが理想だ」、と思います。

決して、本当に何もしなくても音楽が鳴ってくれるわけではないと思う。

そうだとしたら、素晴らしい音楽さえそこにあれば演奏はコンピューターでもいい、ということになってしまうわけだから。

これに関して、バレンボイムがいいことを言っていました。

ちょっと何で読んだかも覚えてなくてうろ覚えですが、

「古典の音楽について、余計なことは何もしないべきだという人達がいるが、そういう人達の演奏はただ単に大人しく弾いているだけだ。」

というような内容だったと思います。

僕自身もそれはすごく感じることで、

「余計なことは何もしなくていいんだ。」

という音楽家に限って、本当に何も中身のない音楽だったりすることがある。

そういえば、昔から思っていたことなのですが、

「何も大げさなことはしてないように聞こえる演奏ほど、その裏ではものすごくたくさんのことをやっている。」

のではないでしょうか

きっとルービンシュタインとかは、考え抜いて研究し尽くしてやってるわけじゃなくて、さらっと指の先で感じて出来てしまうのではあるかもしれないけれど、

それでも、何もしなくてもそこにはすでに小宇宙が存在するくらいにいろんなことを感じ取ってるような、そんな気がします。

要はそれを、むき出しにして表現するか、距離をとって紳士的に表現するか、ということでしょう。

例えば、レストランでおいしいパスタとかを食べた時に、

同じ言葉で「おいしい」と表現するとしても、

若い女の子が感無量な表情で少し高めな声で「おいし~~~~!!」と言うのか、

人生の酸いも甘いも知り尽くしたような、ジャケットをピシッと着こなした紳士が、「おいしい。」と控えめに言うのか、

そういう違いかな。

聞こえてくる雰囲気としてはずいぶん違うものなわけですが、感じている感動はきっと同じはず。

間違えても、「オイシイ」と4つの音をただ並べるように言うのとは全くわけが違うわけです。

僕自身はルービンシュタインのような方向性ではないので、何もしてないようで全てがあるような音楽をする人がどういうアプローチをしているのかは全く分からないのですが、

例えばバロックや古典など過剰になっては逆に音楽を壊してしまうようなものを弾くときには、

一旦やりすぎなほど表情をつけてから不必要なものをそぎ落としていくことが多いです。

それは、高校生の時に受けたホロヴィッツコンクールにまでさかのぼることが出来るんですが、

当時バッハのパルティータ1番を弾いてました。

そして、きっと例によって表情たっぷりに歌ってたんでしょうね、練習のときにある友達から、「もっとあっさりと弾けば?」とアドバイスされたのです。

自分ではその時はよく分からなくて、「こんなに何もやらなくてもいいのか???」と疑問符だらけだったのですが、

でも「いろいろやろうと思わなくても表情も色もちゃんとついてるから大丈夫」と言われ、「そういうものなのかぁ。。」と思ったのでした。

でもそれは、最初から何もやらないのではなくて、一度たくさんの色を塗った後にそれを削っていったから出来たことなのかもしれません。

なのでとりあえず、”これでもか”というくらい表情をつけてみてから、やりすぎたところを戻していくというのも一つのやり方なんじゃないかなぁ。

とまあ、こんなところでいいかなぁ。

あ、ちなみにこの文章は2週間前くらいに一度書いたのを直したものなので、

青陵のコ達からの手紙も最近来たように書いてますが、実際はもう3,4週間前です

時間が経つのは早いなぁ。

それにしても今日はいい天気でしたねぇ

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明日はものすごく寒くなるそう。

やっぱり天候には恵まれないんですねぇ(笑)。

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コメント

私みたいなただの高校生がこんな質問をしてもいいんだろうか、と迷いながら感想文を書いたのですが、こんなに丁寧に答えて下さって、ありがとうございました。

「なにもしなくても音楽が自然に鳴ってくれてるように“聴こえる”のが理想だ」、確かにその通りだと思いました。
何もしていないように見える演奏も、その裏ではたくさんのことをやっているんですね。
とても勉強になりました!!
一旦たくさん色を塗ったあとにそぎ落としていく練習、さっそく実践してみたいと思います!
これからもっともっと練習頑張らないと、と改めて思いました
またコンサートで松本さんの演奏を聴けるのを楽しみにしています
本当にありがとうございました!!

投稿: 質問した人です♪ | 2008年11月21日 (金) 00時43分

人生も同じですね。
一見無駄と思える寄り道を、沢山、それもそのつど真剣にしてきた人の方が深みのある人間になれる気がします。
人に響く言葉も音も、失敗したり試行錯誤した中から生まれるのですね

投稿: | 2008年11月20日 (木) 21時57分

>何も大げさなことはしてないように聞こえる演奏ほど、その裏ではものすごくたくさんのことをやっている

わかるような気がします。
私もいろいろと過剰な人間(爆)なので、レッスンにいくと「もっと淡々といかないですか?」といわれることが多いのですけど、それをおっしゃる先生は、別に「何もするな」とおっしゃっているわけではなく、「わかる、わかる。ここもここも、やりたくなるわよね」ということなのですが、それを何年あるいは、何十年もやっていくと淘汰されるというか洗練されていく・・ということみたいなんですよね。
若いころに「自然に」と考えることそのものが、私にはオドロキであったりもするのですが、逆に若いころのほうがそういう老成したみたいなことを考えていて、40過ぎた今のほうがアブラギッシュになっちゃったような気もします。若いころはあきらめるの早かったのに、今しつこいし(殴)。


ああ、脱線しました、すみません。
年はとっていてもピアノはまだまだビギナーに近いし、試行錯誤、あれもこれもやってからだんだん自然の境地に至れればいいな、と思っています。

投稿: いぞるで | 2008年11月20日 (木) 00時27分

以前はルービンシュタインの音楽が好きでしたが、今はホロヴィッツのバルカローレに夢中です…♪今日の演奏「英雄」はオリジナリティがあって情熱と理性とのバランスがよくてとてもよかったです。
GREATでした♪

投稿: MINAMI | 2008年11月20日 (木) 00時15分

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