« 晴れの国岡山 | トップページ | 夏が過ぎていく »

ガヴリリュック

午前中、録りだめしてるNHKの芸術劇場を何気なく見てると、能とバレエのコラボの後にアレクサンダー・ガヴリリュックのピアノリサイタルが入っていた。
まあ1曲くらい聞いてから他のことをするかな、と腰を半分上げながら見始めたら、一瞬にして画面にくぎづけになり、思わず最後まで一気に見てしまった。
何事も余った時間を使って細切れに少しずつやるタイプの僕には、珍しいこと。
しかも出発前の忙しい時に。

それくらい素晴らしい演奏だった。
ラフマニノフの音の絵があんなに興味深く聞けたのは初めてかもしれない。

それにしても、5つも下とは思えない落ち着きぶり。
いつだかラジオで、凄まじく難しそうなトルコ行進曲のトランスクリプションを聞いた覚えがあって、ロシア系ピアニスト(正確にはウクライナ出身だけれど)の例にもれず、ガンガンテクニックで押す派手な演奏をするのかなと思っていたら、全く正反対に情感豊かな演奏。

ロシア系の人ってみんな情熱的にたっぷり歌って弾くようなイメージがあるけれど、なんだか僕は違う気がする。
コンクールなどで聞いていても、CDでいろんな巨匠の演奏を聞いても、どこか心を閉ざしたような冷たさを感じることが多い。
冷たいと一言で言うと語弊があるかな。
何と言うか、音楽に対して距離感があるというか。

多分ロシアのその世間一般のイメージ、まだ貴族的な輝きの残っていた帝政ロシアの時代、そしてその時代に生きた音楽家達が産み出した音楽から来るんじゃないかな、と思う。
ラフマニノフの音楽なんてその最たるもので、確かに雪に埋もれた凍った大地の冷たさも存分に感じるけれど、それと同時にものすごく音楽に入り込んでいる。
自分の心と音楽を近づけるどころか、一体にまでしてしまわないと表現出来ないような、音楽的な熱さがある。
そういうものがソ連の時代にはなくなっていったような気がする。
スタイルはそのまま受け継がれていて、すごく歌いこんでいるように聞こえるけれど、その心を覗き込んでみると鋼鉄の扉がしっかりと閉められているのではないだろうか。

それが悪いということではなくて、もちろんその中で偉大な芸術家はたくさん生まれてきた。
リヒテルしかり(彼はその隔絶された空間を感じさせる孤独感を、バッハの平均律で神々しいまでに高めた)、ムラヴィンスキーしかり(あれだけ感傷に浸らない、厳しさすら感じさせるチャイコフスキーで、どうやってあんなに大きな感動を生み出すことができるのか)。
作曲家で言うとやはりショスタコーヴィチ(もしも彼がソ連という縛りなしに何でも好きなものが書けていたとしたら、あの名曲達は果たして生まれていたのだろうか)

しかし、ホロヴィッツの時代まではまだあった、音にピッタリと寄り添いながら歌い、体の中からマグマが涌き出してくるように爆発するピアニストは、最近はいないなぁと思っていた。
そんなところに今日のガヴリリュックの演奏を聞いたから、余計に印象的だったのかもしれない。

何気なく聞いているとものすごいテクニックと音量だけど、そういうものだけならロシアのほうにはいくらでも上がいると思う。
ヴォロドスとか。
ベルリンで同じクラスだったアレクサンダー君も、もしかしたらもっと弾けるかもしれない(「ペトルーシュカは簡単だ」と普通に言っていた…)。
でもガヴリリュックには、心から湧き出る音楽と、それを決して途切らせることのない集中力とがある。

一度生で聞いてみたいものだ!!

|

« 晴れの国岡山 | トップページ | 夏が過ぎていく »

コンサートなどを聴いて」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 晴れの国岡山 | トップページ | 夏が過ぎていく »